康子:三冬の季語「冬菜畑」と「震禍の更地」の対比が面白い。冬の野菜が畑に実る中、その土地は以前「震禍の更地」だったことを知った。復興に向けて努力した方々への思いや、自然の力強さを感じているのでしょう。寒気に当たり旨みの増す冬の野菜。「冬菜畑」の季語によりさらに作者の思いが伝わる句だと思いました。

あひる:冬菜畑が三冬の季語。青々とした冬菜と柔かく耕された土の色が浮かんできました。冬菜畑には冷たい空気の中で冬陽が射しています。元々の農地ではなく、住宅街の中にぽっかりと存在する畑でしょう。植えられた冬菜は精一杯に生きるだけ、人も震禍の跡さえも耕して精一杯に生きておられるのだと思いました。

澄子:「冬菜畑」が三冬の季語。拝誦して「更地らしきかな」という表現に「更地」であったことをふと忘れさせるようなよく手入れされた青々とした「冬菜畑」の情景が浮かびました。「震禍」があれど続きゆく人の営みのしたたかさを 寧ろ再生希望のメッセージを感じました。

せいじ:冬菜畑が三冬の季語。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災を思い出す。震禍の更地らしき土地に作られた冬菜畑を見て、すさまじかった震災の日々に思いを馳せている。住んでいた人はどうなったのだろうか。冬菜は何も知らずに育っているが、あの冬の日のことを知っている者にとっては、いたたまれない思いが湧き上がってくるのである。

えいいち:冬菜畑が三冬の季語。句意はこの冬菜畑は震災で更地になったところのようだなあ、ということだと思いますが、下五のらしきかなの措辞から、この畑は震災の悲惨な面影はよく見ないとわからないほどに冬の寒さに負けずにすくすくと菜が育っているぞ、(頑張ろう!)と作者は言いたかったのだと思いました。

かえる:冬菜畑が三冬の季語である冬菜の子季語です。震災で瓦礫の山と化し、のちに更地となった被災地が、今は畑に生まれ変わっている様が浮かびます。更地らしきとあることから、その景色にはもうかつて被災地であった面影はないのだと思います。が、悲しみや、やるせない怒りのようなものは被災した方々の心から生涯消えることはありません。冬菜畑の生命力溢れる明るさと、人々の心の片隅にある暗澹とした思いが錯綜しているように感じました。

むべ:「冬菜畑」が三冬「冬菜」の子季語。秋蒔き、冬から春にかけて収穫する菜類が冬菜で、菜の名の数ほど子季語がありますが、その他に「冬菜畑、冬菜籠、冬菜売」など冬菜から連想する季語もあります。ここでは、寒さの中生き生きと育っている冬菜の畑を見て、作者はふとここは以前住宅だったような…と記憶を辿ります。周囲の住宅の様子から、もしかしたら先の震災で全壊または半壊し、取り壊され更地になったところかもしれない…と思い至ります。丹精された冬菜を見て、世話している人が被災されていたとしたら、更地に種を蒔いたその気持ちは如何許りか…復興と再生を祈る作者の心と、育っている冬菜に見出す希望とが伝わってきます。