澄子:「咳」が三冬の季語。朝の通勤の景を思い浮かべました。おそらく皆無言でどこか心も張っていると思います。遠慮がちな咳の音が まるで連鎖するかのようにあちこちで……共感を呼ぶわかり易い情景です。「咳が咳呼ぶ」言い得て妙だと思いました。作者も乗り合わせた人も無意識のうちに咳の音を捉えていたのでしょう。暖房のきいた密室の乾燥した空気感も伝わってきます。

康子:日常生活の中で当たり前すぎて見過ごしてしまうような光景を詠んでいることに感服しました。電車の中で咳をしないようにと思うと逆に咳が出てしまうことがよくあります。誰かが咳をすると余計に意識してしまいます。コロナ禍では特にです。三冬の季語「咳」が繰り返されていることによりあちこちでゴホンゴホンと連鎖している様子が想像できます。寒くて空気が乾燥し風邪の流行る季節、そして厚着している様子も浮かびます。風邪がうつらないようにと思う作者の気持ちも想像できます。いつどこにでも俳句の材料が転がっているんだなと考えさせられました。

かえる:咳が三冬の季語です。こういうの、あるなあと唸りました。咳とか、欠伸とか、くしゃみとか、何故か伝染しますね。誰か1人がし始めると、呼応するようにほかの人にも広がってゆく。通勤電車はお疲れの人が多いので余計にそうかもしれません。嫌だなと思うものの、どうすることもできず、マスクで自衛して、できるだけ顔や体を背け、早く降車駅に着かないかなと思っている様子が浮かびました。

せいじ:咳が三冬の季語。冬の通勤電車の風景である。控え目な咳の音が車両のあちこちから聞こえてくる。誰かの咳が呼び水になって、我慢していても咳が出る場合もあるだろう。咳は自分の意志ではなかなかコントロールできないから、咳というものが自分とは別に存在しているかのようである。「咳が咳よぶ」とはうまく言ったものである。

えいいち:咳が三冬の季語。誰かが咳きこむと次々に広がって行く光景ですが、これが今流でいうと「通勤電車のあるある」というやつなのでしょう。風邪がうつりそうでちょっと怖いな、と思ってしまいました。

あひる:咳が三冬の季語。混み合う場所では咳をしてはいけないと、大抵の人が思っています。それを意識すると何だか喉がむずむずとしてきます。誰かがコホンと小さい咳をすると、他の誰かが「いまだ!」と思ってかどうか、続いて咳をします。するとまた誰かが「あ、私も咳出そう!」となって、ゴホンゴホンと咳をします。みんなそれぞれ知らぬ顔して自分の世界の中に居ますが、咳を通して少し心が繋がっているのかも知れません。寒い冬、互いを気遣いながらも、出てしまう咳。通勤電車のひとコマが咳で描かれているのは面白いと思いました。

むべ:「咳」が三冬の季語。都会の朝または夕の混んでいる電車内での出来事。一人が咳を始めると、同じ車両の他の人が一人、また一人と続き、咳のリレーもしくは咳の合唱みたいになってしまったものと思われます。冬の渇いた空気、いがらっぽい喉や鼻、「咳」という季語が多くを想起させてくれます。コロナ禍の現在では冷たい視線を浴びることになり、かなり辛いシチュエーションですね…