澄子:「風花」が晩冬の季語。簡潔に詠まれた大きな景が飛び込んできました。「乱心」「見よや」「襖」……勝手な想像ですが黒澤明監督の時代劇映画のようなスケールの大きな絵を感じました。山肌をキャンバスに光を浴びて乱舞する雪の美しさと所詮風に翻弄されるしかない儚く危うい風花のイメージが「乱心」という一語に集約されていると思いました。日本列島は縦に長いので風花の時期もイメージも住む土地によって変わるのかもしれません。余談ですが 四国で育った子供の私は ほんの数片の風花が降ってきても感動。雪が一センチも積もればお祭り騒ぎ。四国なら風花は初冬のイメージでしょうか…晩冬ならぼたん雪になってしまいます。いつか乱舞する風花を見てみたいと思いました。

かえる:風花が晩冬の季語です。乱心とあるので、ひとひらひとひら静かに舞うのではなく、大量の風花が思いのままに飛び交っているのではないかと思います。作者は美しく狂気じみた光景を山の宿で見つめているのでしょうか。見よやに自分の胸だけに収めておくことのできない強く溢れる感動が現れています。襖絵は桜。窓を隔てて、冬と春が共存している。そんな光景が浮かびました。

あひる:風花が晩冬の季語と新日本大歳時記には記されていました。ネットでは初冬との説明もありました。いづれにしても、冬の晴れた空から花びらのように舞い落ちてくる雪、又は山などに降り積もった雪が風に飛ばされ小雪がちらつく現象を言うようです。青い空から舞ってくる雪は美しく心が躍りますが、この句では乱心したように激しく舞っている様子。山襖とはそそり立つ山が襖のように連なっている風景を想像しました。写生に徹しようとすると説明になりがちですが、作者の心の動きがそのまま表現されていることに驚きました。「見よや」は、なかなか思いつきません。

せいじ:わたしの歳時記では風花は晩冬の季語。切り立った山を背景にして風花が狂ったように舞っている。乱舞という表現はよくあるが、これでは表現しきれないとみて、乱心としたところがポイントで、美しさに感動しながらも、どこか得体の知れない怖さを感じているのだと思った。

えいいち:風花が三冬の季語。私は晩冬として鑑賞したいです。外は雪まじりの風花が乱舞するかのように吹いていますが、気持よく掃き出しを開放して山なみを描いた襖と共に目に入れればなんと美しく広大な春を待つ自然の光景が浮かび上がる事でしょう。戸外の自然との一体化をも考慮された日本建築の美意識、技を誇らしく思います。

むべ:「風花」が三冬の季語。なんとダイナミックでドラマチックな句でしょうか。山襖という単語は初見ですが、岩襖をさらに広く大きくしたものでしょうか。晴れた日、広い山の斜面を吹き下ろしている風花。折からの風で、ちらつくどころか四方八方に乱舞している、そのような光景を想像します。「風花の乱心」と擬人化しているところがうまいなぁと感じました。また、「見よや」には強調の働きがあり、作者の感動がせつせつと伝わってくる措辞だと思います。こんな風景を見たら詠まずにいられないでしょうね。