あひる:聖夜が仲冬の季語。教会の聖夜は世の喧騒を離れて静かに始まります。暗くなった頃から燭火礼拝のために人々が集まり、蝋燭の灯の下、聖書を輪読し讃美歌を歌い、牧師のメッセージを聞き、その後は和やかなティータイムになります。聖夜に夜中の十二時まで外に出ているという経験がないので、針重ねという措辞には聖夜の教会の八時から九時くらいの間、長針と短針が重なった時かなと思ってしまいました。これも、温かいひと時です。同じ街の時計台でも、しんしんと冷える空気の中で、聖夜の時は同じように刻まれていたかと。

せいじ:聖夜が仲冬の季語。この時計台は明石天文台の時計台ではないかと思った。12月24日の夜、日本標準時の子午線上にある教会で行われた燭火礼拝の帰途、ふと見上げた時計台の針がぴたりと重なって午前零時を示していた。後片づけや明日の礼拝準備などをしていたらこんなに遅くなってしまいましたよ、と思いつつも、たまたま見た時計台の針の重なりに、天と地の重なり、すなわち、イエス・キリストの誕生という、永遠がこの世に突入した時の瞬間(カイロス)を直観したのではないだろうか。

康子:1人静かに時計台を見ながらその時を待っていた状況が想像できます。時計の「針」に焦点を当てたのが面白いと思いました。ピタッと全ての針が揃った瞬間、そのほんの一瞬を捉えたことに感服しました。まさに季語「聖夜」のなせる技。クリスマスの華いだ街の様子やその音、匂い、心待ちにしていた心情や明るい未来を願う気持ちなどが想像できます。雑踏の中で静かに手を合わせている作者が浮かびます。子供の頃クリスマスを待ってワクワクしていた感情を、今年は思い出してみようと思いました。

澄子:「聖夜」が仲冬の季語。美しさに心打たれました。私には一瞬のなかに在る永遠性とでもいうのでしょうか……その刻一瞬の輝やきがみごとに詠まれているように感じました。聖夜零時「時計台」の針が重なるのをみていた人は他にもいたでしょう。雑踏のなかであったかもしれません。でもこちらの句から感じるのは静謐さ。それは人のうちなる静けさではないのでしょうか……。

かえる:聖夜が仲冬の季語です。クリスマスイブの、まさに日付が変わる瞬間を切り取った句だと思いました。私は信者ではないため理解が浅いのですが、信者さんにとって特別な日なのだと思います。新年のカウントダウンに似た厳かな気持ちで迎えるのでしょうか。時計の針が重なったその時はしんとしているのか、歓声があがるような賑やかさなのか、様々なイメージが膨らみます。

えいいち:聖夜が仲冬の季語。聖夜の時を告げる時計台の針が重なり一つとなって真っ直ぐ天を指す瞬間の情景のように思いました。静かに夜空を見上げ祈る人たちの姿を想像しました。

むべ:「聖夜」が仲冬「クリスマス」の子季語。「針を重ねけり」から想像するに、12月24日から25日へ移る瞬間を、作者は時計台のそばで迎えたのでしょう。時計台から澄んだ鐘の音が冬の夜空に響き渡ります。時計台と聞いてぱっと思い浮かぶのはロンドン市のビッグ・ベンか札幌市時計台です。いずれにせよ、12月下旬は寒そうで、雪も降っているかもしれません。神の御子イエス・キリストが世に来られた、それも小さな赤ちゃんとして…作者はしみじみと福音(良き知らせ)をかみしめながら、鐘の音に聞き入っています。パーティーやデートなどイベントではなく、祈りをもって迎える本物のクリスマスがここにあるように思います。