あひる:息白しが三冬の季語。出会いがしらの「こんにちは」になにかひと言添えたい時、お天気の挨拶は便利です。それがとても寒い日だと、「お元気ですか、風邪ひかないでね。」と相手への労りの心がこもります。相手も同じように心を込めてくれます。言葉と一緒に出てきた白い息、冷たい空気だけれど何とも言えない温かさが感じられる句だと思いました。書かれてはいませんが、朝のような気がしました。

康子:息白しが三冬の季語。以前添削して頂いた句に「存問」の措辞がありました。ただの挨拶とは違い相手を思いやる奥深い言葉だと感じていました。添削して頂いた句は「とんぼが墓を存問しているよう」という内容でした。「啓蟄」に対しての存問の句も拝読しました。声をかけあふ、とあるのでこの場合は人でしょう。お互いの身体を労わるような会話をしている様子が浮かびます。季語「息白し」により寒さや冬の景色が浮かび、そこで「存問」の措辞によりかけ合う言葉までも想像できる句だと思いました。

澄子:「息白し」が三冬の季語。例えば寒い朝お互い短い簡単な挨拶を交わしゆく ごくありふれた日常の瞬間を捉えた句のように思いました。格別親しい間柄でなくとも声掛け合う事が出来る社会 また他者をリスペクト出来る人でありたいと……。ならば自ずから人生も社会もよき流れにかわってゆくように思いました。

かえる:息白しが三冬の季語です。寒い季節は特に独居の高齢者が心配です。友人や近隣の人が気にかけて、安否確認を兼ねて訪ねているのでしょう。玄関先で、お変わりないですか?と問う側も、問われる側も、息は白く、寒さが身に染みます。でも、気にかけてくれるひとのいるありがたさ、大切な人が安らかでいることを確認できた喜び。息は白くとも双方の気持ちは温かな色に染まっているのではないかと思います。

えいいち:「息白し」が三冬の季語。この句を読んで思わずクスっと笑ってしまいました。存問のご挨拶をしているのはご老人同士なのではないでしょうか、私もそういう歳になってきました。若い頃は幼馴染とすれ違ってもチラッと眼を交わすだけでしたが、何故か歳を取るとわずかな知り合いであっても出会うと立ち止まり「こんにちは、おげんきですか?」などと声をかけてしまうものです。息が白いのは寒いからなのですが、何故か私には白い息の寒さより立派な白い髭や白髪頭を連想させるのです。今のお年寄りは寒くても元気ですからね。

せいじ:息白しが三冬の季語。久しぶりに会った知り合いがお互いに安否を問い、時候の挨拶を交わす。「その後いかがですか。寒くなりましたね」「本当に寒くなりましたね」とふたりが声を発すると、声が白息になって、大気もそれを諾っているかのようである。息白しの季語が、大気の寒さをよく伝えている。

むべ:「息白し」が三冬の季語。「存問」とは挨拶のことだそうです。俳句仲間と久しぶりの再会、お互いに元気にしていたかどうかと聞きあっている、そして寒い中それぞれ白い息を吐きながら挨拶をしている、そのような光景を思い浮かべました。中七「声をかけあふ」には仲間を気遣う優しさや再会の喜びを感じました。また、虚子のいう「存問」という言葉の定義は、日常の挨拶にとどまらず、自然界そのものへの挨拶であり、神仏への神聖な挨拶までを含める、広くて深い意味があるそうです。自然を前に謙虚であり、人に対しては愛情と思いやりを持って接する。作者が目指すあり方も、この句からじわりとにじんでくるようです。