うつぎ:田圃にれんげを植えるのは水田の肥料にする為なのでもう少し根っこの根瘤を大きくしてから鋤き込もうとしているのだろうか。一面に咲いているのは正しく浄土に思えますが子供の頃はそんな難しい言葉も知らず踏み込んで寝転んでみたものでした。

素秀:れんげ田も見なくなったものの一つです。遊び場にしたら農家の方に叱られますが、踏み込んでみたい衝動にかられたのを思い出します。確かに浄土だったのかも知れません。

あひる:昔はまさに一面のげんげ浄土でしたが、だんだん減って今はげんげ田を見ると懐かしさを覚えます。この一枚のげんげ田の持ち主は、わざと田打をせずに残してくれているのかな、持ち主もげんげ田が大好きなのかなと思いました。そんな呑気な事情ではないのかも知れませんが、げんげ田はただ美しく広がっています。

せいじ:げんげが仲春の季語。田んぼの緑肥となる紫雲英が一斉に咲いて絨毯のよう美しく見える状態を極楽浄土に見立てている。まわりの田んぼはすでに田打がすんでいるのに、なぜか、一枚の田んぼだけがそのままになっている。掃き清められた庭に紅葉が一枚落ちているような風情であろうか。

豊実:田んぼの持ち主が亡くなってしまったのではと思いました。田起しされずにそのまま放置され綺麗に咲いているレンゲが浄土への旅立ちを見送っている。