素秀:草の芽を見つけて素十のあの有名な句が浮かんだのでしょう。素十と心が通い合ったように思えたのだと。

あひる:以前、高野素十氏の客観写生の句に触れて心動かされました。幼子のように無心な目で淡々と描写しているのに、瑞々しい生命感に溢れていました。春の初め、作者はものの芽を見ながら素十を想い、素十のような幼子のような気持ちになっていたのではないでしょうか。

せいじ:ものの芽が初春の季語。「素十のこころ」とは客観写生に徹する作句態度のことであろう。「甘草の芽のとびとびのひとならび」を代表作とし、ものの芽俳句と揶揄されることのある素十だが、作者はむしろ素十に敬意を表している。上掲の句に思いを馳せながら草の芽を眼前にしたとき、何かの拍子に、客観写生に徹するという素十のこころが自分の心に届いた、腑に落ちた、頭ではなく心で理解することができた、ということではないだろうか。まさに啓示である。