:「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 芭蕉」に通底するところがあるかも。蕉翁も、素十も、門人との間には隔世の感があり、孤独に時代の移ろいをこそ凝視(写生)していたように思う。

うつぎ:とぶ蟷螂をうしろに見、だと思います。虚子先生から伝わった全部を弟子に伝え終わったという自負がある。それぞれに客観写生の道をを守りその活躍を遠いところから見守ることにしょう。弟子たちを思う「愛」と去っていかねばならない「生のかなしみ」その思いが二つの蟷螂に凝縮された辞世の句であると思います。

素秀:辞世の句、上五の蟷螂は素十自身でしょう。この句はやはり、蟷螂のとぶ/蟷螂をうしろに見、と切るべきかなと思います。来世に飛ぶ自分は残した蟷螂たちを見ているよと言う事かと。

せいじ:蟷螂が秋の季語。「とぶ」のはどちらの蟷螂だろうか。私は「蟷螂のとぶ」で切れているとみる。上五の蟷螂を自分に見立て、中七の蟷螂=わが遺志を継ぐ弟子に後事を託して飛び立つというのであろう。では、なぜ「蟷螂」なのであろうか。作者は俳句の世界で多くの人たちと戦ってきた。弟子は自分の分身、同じ「蟷螂」に見立てて、負けずに戦ってくれとエールを送っているのではないだろうか。

むべ:「蟷螂」が仲秋の季語。後ろを振り返る蟷螂と、飛んでいる蟷螂の二匹が登場し、それは素十さんと後進のお弟子さんたちを彷彿とさせます。彼らの活躍ぶりを頼もしく感じながら、後顧の憂いなく……

あひる:蟷螂が秋の季語。先の二つの俳句が、師虚子への敬愛と感謝に溢れる挨拶句とすれば、この句は弟子の倉田紘文氏への期待と愛情に溢れる励ましの句かと思いました。とぶ蟷螂はあとを託せる紘文さんです。心強い、とぶ蟷螂をうしろに見ているのは素十さんです。紘文さんは師素十さんを深く理解してしていることが、紹介された文章でよく分かります。

豊実:最期を目前にしている一匹の蟷螂。まだ、首はわずかに回る。背中の方に、まだ元気にとんでいる蟷螂が見える。一足先に、光の世界へ旅立つ。