豊実:帷子の生地が透けて膝の形が見えているのでしょうか?足も痩せてあまり元気がなさそうです。

素秀:帷子を着た経験もないのでどれぐらいすーっとするものなのか分りませんが、生地の薄さよりも自分の脚の筋肉の落ちようを嘆いているようにも感じます。これほどスカスカだったのだろうかと改めて思っているようです。

うつぎ:膝のあたりが痩せて嵩低くなったことは前から感じていたが帷子の薄さは着ていてなおそれを強調する。それが今の我身だと達観しながらもまだ少しは希望もある。作者の微妙な心境を感じます。

せいじ:帷子が夏の季語。夏用の単衣の着物を着たのだが、膝のあたりの感触が前と違ってどこか頼りない。「うすうすと」という表現に明るさが感じられるので、かくも痩せたかと嘆いているというよりは、これがいまの自分だと、もはや物事にとらわれない飄飄とした作者を思った。

あひる:恰幅のよかった身体も病後は弱弱しく薄くなったのでしょう。膝をかかえて端居している様子を想像しました。着ている帷子の膝のあたりをつくづくと眺めて、夏の単衣の着物の上からでも痩せていると分かるほどの自分の身体を愛おしんでいるようです。寂しい感じがしますが、もしかしたら医者としての目で観察しているのかも知れません。

むべ:「帷子」が晩夏の季語。こちらも病中または病後の一句でしょうか。帷子は裏地がなく麻や苧などで織られた涼しい着物で、湿度の高い日本にはぴったりです。しかし、病を得た自分には、少々風通しが良すぎるなぁ、膝のあたりが心もとない。老いて病むことの悲しみ、淋しさを受け取りました。