うつぎ:唯一人でお堂の仏様に対峙されていたのだろう。辺りにはだれもいないと思っていたのにみ仏の影から人が現れた。坊様か御内儀様か、でも何言うでもなく春のゆったりとした静かな空気は変わらない。

素秀:仏像を見ていたら見学者が来たという事なのでしょうか。仏様の顔に知り合いか誰かの人の顔が見えて実体化したように感じたのかとも思えました。

あひる:「本堂に」ではなく「み仏に」人が現れたという表現が心に掛かりました。素十さんが居られたのは「本堂」ではあるけれど、それよりもみ仏との静かな「関係」の中に居られたのかな、そこへもう一人、誰かが静かに入ってこられたのかなと思いました。春の昼のゆっくりと流れる時間を感じました。

むべ:「春昼」が季語。平日の昼の時間帯で参拝客もほとんどいなかったのかもしれません。作者は仏像の前で瞑想にも似た心持ちでいたところ、ふいに仏像の背後から人(僧侶などお寺の関係者?)が現れ、にわかに現実に引き戻されました。仏様と何か対話したような白昼夢を見ていたかもしれません。

せいじ:のどかで明るく眠気を誘うような春の昼間のお寺の情景であろう。ふと立ち寄ってみたが誰もいない。ひとり本堂に座して仏像を眺めていると、やっと一人の参拝者が現れた。ここはみ仏の世界、この世とは異なるゆっくりとした時間が流れている。

豊実:春、お寺にお参りするなら、やっぱり昼ののどかな時間が良いと多くの人が思うのでしょう。素十さんも穏やかな春風の中、仏像を拝んでいる。