2020年11月

目次

11月30日

町は冬陸軍墓地をいただけり

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(まちはふゆりくぐんぼちをいただけり)

合評
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11月29日

しぐるると子安の小貝濡れにけり

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(しぐるるとこやすのこがいぬれにけり)

合評
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11月28日

隙間風十二神将みな怒る

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(すきまかぜじゆうにしんしようみないかる)

合評
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11月27日

妓生は長夜の宴をはづしけり

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(キーサンはながよのえんをはづしけり)

合評
  • 昭和46年訪韓での作。
  • 妓生は韓国の芸妓。宴会も長引き夜も更けてきたらいつのまにか妓生もいなくなっていたのである。 (素秀)

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11月26日

ベツレヘムの星と思へば悴まず

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(ベツレヘムのほしとおもへばかじかまず)

合評
  • ベツレヘムの星はキリストの誕生を三賢者に知らせた星。あの星もベツレヘムの星だと思えばこの寒さにも耐えられるではないか。 (素秀)

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11月25日

跫音の通天冬に這入りけり

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(きようおんのつうてんふゆにはいりけり)

合評
  • 京都東福寺での作。
  • 足音が乾いた空気に響き天に響くほどである。いよいよ冬であるなあ。 (素秀)

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11月24日

ゆげむりのごとくに蕎麦を掻きにけり

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(ゆげむりのごとくにそばをかきにけり)

合評
  • 蕎麦掻き、蕎麦の粉に熱湯を掛けてかき混ぜて食べる。イメージははったい粉に近いのかと思います。湯気を立てながら混ぜている光景が、温泉の湯もみのように見えたのかもわかりません。 (素秀)

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11月23日

神農の虎三越をまだうろうろ

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(しんのうのとらみつこしをまだうろうろ)

十一月二十、二十三の両日、薬種問屋の多い大阪市東区道修町にある少彦名神社の祭。少彦名は日本の医薬神だが、もともと同じところに中国の神話伝説の皇帝で、医薬の祖とされる神農氏が祀られていたので、神農祭とよばれ大阪の人たちは親しみを込めて神農さんという。祭の当日には、笹の枝に結んだ張子の虎が魔除けとして神社で配られる。これは文政年間にコレラが大流行したとき、虎の頭の骨粉などを調合した丸薬を張子の虎と共に奉納したことに始まる。ぶらぶら頭を振るのは愛嬌がある。

道修町を堺筋に出るとすぐ向かいに三越百貨店がある。祭の日、張子の虎を手にしながら買い物しているご婦人を見た。まだうろうろしているのは人間なのだが、張り子の虎を主人公にして、しかも三越の店内であるところが、えもいわれず面白い。

合評
  • 神農祭神の張り子の虎を持つ人たち。ぞろぞろと三越あたりを歩いているようです。 (素秀)

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11月22日

鬼無里みち釣瓶落としにいそぎけり

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(きさなみちつるべおとしにいそぎけり)

鬼無里--きさな、と読む。信州戸隠村の隣村である。能や歌舞伎の「紅葉狩」で有名な荒倉山の麓にあり、長野市から西方へ裾花川沿いの断崖がつづく道を約20キロ遡る。千二百年ほど昔、親と共に京都から流罪になった紅葉は、この山里(古名は木麻)にたどり着いて住みつくが、心ならずも野盗団などに担ぎ上げられて、その首領となり、そのため都から派遣された平維茂(これもち)の軍勢によって誅伐された。ときに三十三歳。忠実による物語で、その以降、鬼無里村と書かれるようになったのである。秋の落日は深井戸に釣瓶が落ちてゆくように早いと例えた「釣瓶落とし」という俗語が俳句の季語になったのは比較的新しい。固有名詞のイメージが季語に結びついて、なにやら鬼女に追われているような心地がする。

合評
  • 鬼無里を訪ねた。山道に夕暮れが迫っている。急がなければならないが、秋の日は釣瓶落とし次第に暗くなってくるのである。 (素秀)

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11月21日

蟹味噌をせせりやめざる箸の味

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(かにみそをせせりやめざるはしのあじ)

青畝師はたびたび日本海に面する兵庫県香住に出かけた。近くには円山応挙の絵を多く蔵する大乗寺、余部の鉄橋もあったが、香住と言えばなんと言っても蟹だ。だから行くのはいつも冬だった。大雪になることが多く、暮れの早い駅を降りると、道のそばで蟹を大釜で茹でる湯げむりが立ち上っていたりした。青畝師は美食家ではなかったが、その作句から推して鮎と蟹がとくに気にいっていた。大きなマツバガニのぎっしり詰まった身は勿論だが、甲羅を外したとき溢れるほど入っているみそは絶品である。旬のものを本場に行って食べるのが美味求真の境地だが、その中でも蟹こそは最高の海の幸、日本人は遥かのむかしから、この醍醐味を楽しんできた。太安万侶(おおのやすまろ)が撰録した日本最古の歴史書「古事記」には、応神天皇が角鹿(つぬが)の蟹を賞味して即興歌を詠まれたとある。角鹿とは今の敦賀である。

合評
  • 蟹味噌があまりに旨くて止まらい。箸に染みた味さえも惜しいほどだ。食べ物の句は旨そうでないといけないと言いますが、いかにも美味しそうで蟹が食べたくなるほどです。 (素秀)

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11月20日

夕づつの光りぬ呆きぬ虎落笛

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(ゆうづつのひかりぬほきぬもがりぶえ)

夕づつは素秀解のとおり、もがり笛というのは冬の烈風が竹垣や柵にあたってヒューヒューと鳴る音をいう。大和高取に生まれ育った作者が、大阪の阿波野家に入って4年を経た28歳の時の句である。その4年後に刊行された『万両』は、はげしい望郷の念をこめた句集だったと青畝師は述懐している。これはその中でも白眉をなす一句だろう。生家の付近は人家の少ないところで竹藪が多く、読書好きの少年の部屋の窓からも見え、裏度を出てもすぐに高取山麓斜面の竹藪があり、そのあたりによく佇んだという。竹藪を揺るがす虎落笛や、西の夕空に光る金星は、青畝師のなつかしくも強烈な原風景の一つであったと思う。風が強い日ほど星は瞬く。光りぬ、呆きぬ、と切れを重ねて、その明滅を鮮明に印象づける。「呆く」とはこの場合一瞬ぼやけることである。

合評
  • 夕づつ、宵の明星、金星の事。夕暮れにそろそろ宵の明星も光りだしたというのに、虎落笛は呆けたように鳴り続けているものだ。 (素秀)

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11月19日

磁の皿に安定せざる牡蠣を食ふ

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(じのさらにあんていせざるかきをくう)

牡蠣は岩礁にくっついて育つので、殻の形は一定しない。そのため皿に乗せると少々がたつく。この句の詠まれた時の料理はオイスター・レモンだろう。殻に入ったままの牡蠣にレモンを絞ってしたらす。新鮮でよく太った軟体をとろりと啜り込むはこたえられない味である。5個ぐらいの牡蠣を形良く並べた皿は磁器で白を主調にした洒落た絵柄のものと思われる。この料理には辛口のワインがよく合う。

この句は「磁の皿」とゆとりある表現を置き、つづいて「安定せざる」と実感のこもった現代的な言葉を使い、磁器の硬質な肌と触れ合うカキ殻の音が聞こえるようである。言葉が絶妙な配慮によって組み合わされ、しかも粋な品格を備えている。透徹した写生眼と自在でゆたかな表現が融合して独自の詩的世界を結晶させた一例である。

合評
  • 磁器の皿に牡蠣が殻付きの並んでいる。牡蠣の殻は凸凹でふらふらと揺れている。牡蠣を皿に押さえつけて食べているのである。 (素秀)

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11月18日

尚あまりありつつ芦を刈りにけり

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(なほあまりありつつあしをかりにけり)

昭和5年の作。昭和初頭と言えば、淀川の河口近くにはいたるところに芦(蘆、葦、葭も同じ)の原が果てしなく続き、芦刈舟に乗って刈っている風景が見られあという。古くから「津の国の難波(なにわ)」とよばれる芦の名所であった。「津の国の減りゆく芦を刈りにけり 夜半」という句もある。青畝師のこの句は、いくら刈っても刈っても刈り尽くせないさまを詠んでいる。芦刈という仕事には古典的な情趣があり、はかなげな風情を伴う。能に「芦刈」があるが、昔は芦を刈って売る歩く男がいた。

「尚あまりあり」は『百人一首』の順徳院の「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり」から引用された。順徳上皇は後鳥羽上皇の子で、鎌倉幕府打倒を企てた承久の変で父と共に捕えられ、父は隠岐へ、子は佐渡へ流され、ともにその地に歿した。父も名歌人で『百人一首』に採録されている。

合評
  • 芦を刈っている。精を出してかなり刈り込んだのだが、まだまだもう少しと刈り続けるのだ。 (素秀)

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11月17日

焚火魔としての寒山拾得視

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(たきびまとしてのかんざんじゆつとくし)

有名な寒山拾得図は、中国の僧衣をまとった二人が落葉を焚いているか、あるいは一人が経巻を開き、もう一人が箒を持っている構図が多く、中国でも日本でも伝説的な水墨画の画題になっている。浙江省の天台山は、隋代の六世紀末に国清寺を中心にした天台宗の総本山となり、最澄など日本の留学僧もここで修業を積んだ。寒山、 拾得は唐代(七、八世紀)に実在した国清寺の僧で、二人とも奇行が多かったが、仏教の哲理に通暁し、寒山は詩でも名声があった。詩禅一如、ともに飄々として生き、位階にはつかず、在世年代は不明である。

この句は「焚火魔」(よほどの焚火好きという意)と見なすと表現したのが面白く、「視」という一字で止めた放胆叙法が、超脱俗の主人公たちの雰囲気に通じている。自由自在の境地に遊ぶ青畝師の名人芸の一端を見る思いがする。

合評
  • 寒山拾得は唐代の詩僧、奇行で知られ森鴎外の短編小説にもなっている。枯れ葉を掃き集めて焚火をしている絵などがあるので、焚火を見て寒山拾得を見たのかもしれません。 (素秀)

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11月16日

切能となればほろりとしぐれけり

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(きりのうとなればほろりとしぐれけり)

一日の番組のフィナーレを飾る五番目の切能は、鬼神や天狗を主人公として見た目に派手なものが多い。たとえば「紅葉狩」「山姥」「船弁慶」「大江山」や「鞍馬天狗」「土蜘蛛」などである。この句は演能も終わり近くになり、ふと外を見ると、しぐれていた、というのだが「ほろりと」という表現が、いかにも青畝師らしく、ものやわらかな言いまわしで、能の世界に遊ぶ陶酔感、そしてほのかな疲労感を滲ませている。格調が高く、磨き上げた感性による情緒を匂わせ、極めて愛 誦性に富む句である。

合評
  • 切能、五番立で最後に演じるので切能と呼ばれる。シテとして鬼や天狗など怪異なのものが現れる演目。しかも最後となれば時雨のよく似合う雰囲気になるのでしょう。ほろりと、のオノマトペがぴったりです。 (素秀)

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11月15日

魂ぬけの小倉百人神の旅

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(たあぬけのおぐらひやくにんかみのたび)

百人一種には多種あるが、いわゆる小倉百人一首がその元祖として人々に親しまれ、江戸時代以降は "歌がるた" として流行した。鎌倉初期、藤原定家が嵯峨の小倉山にある別荘で撰したものといわれる。この句は、宝塚に近い売布にある小社での作。拝殿に三十六歌仙の額がかけられていて、古びてはいたが拾い読みできた。三十六歌仙にもいろいろあるが、平安中期、藤原公任(きんとう)による「三十六人撰」が最も有名で、人麻呂、貫之、赤人、家持、小町、遍昭、業平・・・。その多くの名は小倉百人一首にもあり、少年時代から古典を熟読していた作者には「小倉百人」は自然に浮かびでた言葉だと思われる。陰暦十月は神無月、参詣者も少なく、歌仙たちの姿も侘しげに見えるのを「魂ぬけの」と表現した。一句を構成している言葉が、微妙にひびきあって、独自の風雅の世界を描き出している。

合評
  • 難しい句です。神が旅するように魂が抜けた小倉百人も一緒に行くと読んだら間違いでしょうか。 (素秀)

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11月14日

緋連雀一斉に立ってもれもなし

合評掲示板

(ひれんじやくいつせいにたつてもれもなし)

畝傍中学を卒業したが、耳疾のため進学をあきらめざるを得ず、悶々として家を離れ京都に下宿してあちこちと歩きまわった。放浪しとったんや、洩らされたことがあるとか、この体験もあとあと生かされたに違いない。しかしこの年、世界的に猛威を振るったスペイン風邪のため長兄と末兄が死亡し、郷里高取に呼び戻されてしまう。

半年を過ごした京都を去るさびしさを感じながら、嵯峨野の辺りを歩いた。竹藪みちの多いところである。そのとき一群の緋連雀を見た。雀よりいくぶん大きく頭の羽冠と尾の端の赤色が特徴である。中七が字余りになっている。これによって、一瞬にではなく羽ばたく音にわずかに遅速のある気息のずれが感じられる。この若さの頃すでに、微妙な自然詩の世界をとらえているようである。

合評
  • 青畝師19歳のときの作である。
  • 緋連雀の群れが一斉に飛び立った。もれもなし、で結構なかずの群や飛び立つさまがより鮮明ななるようです。 (素秀)

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11月13日

出刃を呑むぞと鮟鱇は笑ひけり

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(でばをのむぞとあんこうはわらひけり)

深海魚で海底に静止し、大きいのは1.5mの琵琶型で扁平な軟体にはうろこがなくヌメヌメしている。口が大きい。小魚を呑み込むのには便利だろうが、そう言えば笑っているようにも見える。「出刃を呑むぞ」とうそぶいているようでもある。身が柔らかいので、口の骨に鉤をひっかけ、出刃包丁で吊るし切りにして料理する。特に肝(アンキモ)をたっぷり入れた鍋は美味い。

その昔、俳句総合誌の座談会で、この句が主観の句なのか、それとも客観の句なのかで意見が割れたことがあったが、青畝師の句は主客合一であって、鮟鱇の本質をつかんだ写生句でありながら、現代人のニヒルな笑いのような感覚も含めているのである。青畝師はブラック・ユーモアの好きな人であった。文芸家として ”毒” も持っていなければ、あの自在で気儘放題の境地に達したはずがないとも言える。

合評
  • 鮟鱇を捌いている。包丁を笑いながら呑み込むようだと。笑ひけり、におかしみがある。 (素秀)

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11月12日

市振の寺は翁忌かとおもふ

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(いちぶりのてらはおきなきかとおもふ)

『奥の細道』の、親不知の難所をこえた芭蕉と曽良は、越後と越中の国境にある市振にたどり着いた。海沿いの宿場町として栄え、関所もあった。この市振の宿で、二人の遊女と泊まり合わせたというきわめて情緒あるくだりは、芭蕉のフィクションだというのが定説である。『奥の細道』全体が連句仕立てになっていて、その恋の座にした、というのである。もともと『奥の細道』は現実の旅行記というよりも詩想を求めての心の旅の記録だったのである。

芭蕉が泊まったという桔梗屋(脇本陣)の跡があり、長円寺という寺の境内に「一家に遊女も寝たり萩と月」の句碑がある。今では寂れた町並みになっている市振を訪れ、とある一寺に佇んだとき、芭蕉へのなつかしさがこみあげてたのだろう。その思いをさらりと、しかししみじみと詠んでいる。翁忌は旧暦10月12日である。

合評
  • 市振の長円寺を訪ねた青畝師は寺そのものが芭蕉の句碑のように見えたのかも知れません。 (素秀)

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11月11日

立つ鴫を言吃りして見送りぬ

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(たつしぎをことどもりしてみおくりぬ)

鑑賞文を書こうとしてミスタイプに気づきました。鴨ではなくて鴫です。素秀さん、本当にごめんなさい。

鴫は渡り鳥で、日本で越冬するものもいる。多種あるがこの句の鴫は、水田や沼地に棲む田鴫である。「ある人が鴫の看経(かんきん)を見たか問うたので見ないと返事すると、それじゃあ見せてやろうと湿地の田圃をぶらぶた案内された」(自選自解・阿波野青畝句集)ときの句。看経は読経のことで、長い嘴を泥に差し込む姿を例えた言葉である。田沢の中に身を潜めているらしい鴫はなかなか姿を見せなかったが、突然一羽が飛び立った。「それそれあそこに、とあわてて私に告げた」が、その人は思わず吃ってしまった。それが如何にも好人物らしくて、青畝師はおかしくなったのである。「言吃りして」とはうまく言い得ている。

鴫は古歌に多く詠まれ、西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」はことに有名。大磯の鴫立庵の名も広く知られている。

合評
  • 突然飛び立った鴨に驚いてしまって、言吃り、おぉっと声が出たのでしょう。 (素秀)

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11月10日

急霰に周山街道すぐ白し

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(きゆうさんにしゅうざんかいどうすぐしろし)

京都を流れる加茂川の北方に遥かに重なる山々は、有名な北山杉の産地である。この北山に分け入るように北上する国道162号線が、高雄を過ぎ清滝川とからみながら古道の周山街道となる。北山の杉は大木ではない。床柱に用いる太さのよく手入れされた杉が、整然と山々の斜面を覆って続くのは最も日本的な美しい風景の一つだろう。沿道の集落はみな北山杉の集散地で、ときには丸太磨きをしている女たちの姿を見ることもある。

平成3年、青畝師歳晩年の作。過去の数多の体験の中から、周山街道--それも突然の霰で白くなった道筋が蘇ったのはごく自然のように思える。急霰という硬いことばが効果的で、サ行を重ねた句調もよい。この道は延々と丹波高地を縫って福井県境を越え、若狭の小浜市あたりで国道27号線につながる。

合評
  • 周山街道、京都を福井県を結ぶ峠道。急に降り出した霰にたちまち道も周囲の山々も白くなりだした。山の天候の急変に驚いた様子です。 (素秀)

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11月9日

たかし居て夜長の谷戸の灯しをり

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(たかしゐてよながのやとをともしをり)

谷戸(やつ、やとともいう)は鎌倉の地名によくある。三方を囲む低い山に襞をなしている谷間で、住宅街にもなっているが、それぞれの歴史を秘め、四季の風情に富む。浄明寺のその一つで、八幡宮から東へ滑川沿いの金沢街道に面して閑静なところである。松本たかしは父祖代々の能役者の家に生まれたが、病のためその道を断念し、17歳で虚子について俳句を学んだ。多趣味の粋人でゆたかな気品と鋭い感受性の秀句を多く残し50歳で歿した。この句は昭和10年の作で、このときのたかし庵での句座は10人足らず、中村草田男も居た。星月夜で茅葺きの屋根も庭の芝も露に光り、縁から座敷に上がると炉火も美しかった。村上正の持つ提灯が、今を盛りの菊や萩、芒を照らした。門に立つたかし夫妻に見送られて辞去したのは10時ごろだったという。青畝師35歳、草田男33歳、たかしは28歳であった。

合評
  • たかしは俳人の松本たかしかと。歓談に夜がふけるのも忘れてしまったということでしょうか。 (素秀)

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11月8日

秋汐をしるべに平家物語

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(あきしおをしるべにへいけものがたり)

連絡船で渡った宮島厳島神社での。「秋汐」にはなんとなくさびしさがある。晴れた日でも暗い流れを感じる。さらに「しるべに」と詠まれると、身にしみるようなわびしさが漂う。「平家物語」は作者や成立期はさだかではない。庶民や武家に好まれた盲目の法師たちの琵琶の弾き語りとないまぜになって、書き写され語り伝えられたと思われる。数多の武士の人間像がみごとな韻律の文章で鮮明に描写され、限りない無常観が底流する。

朱塗りの廻廊が海面に映える厳島神社は安芸国一宮で平清盛の信仰を受けた壮麗な社殿に、平家一門が筆写した多くの経巻が奉納されている。経文字は金泥や色絵具で書かれ、絵も書き添えた豪華な国宝である。秋汐という季語が動かず、しかもそれを媒体として「平家物語」の世界を十七字で包みとらえた、格調の高い文学性ゆたかな句である。

合評
  • 平家物語と言えば壇ノ浦、秋汐の満ち引きを無常だと感じたのでしょうか。 (素秀)

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11月7日

手力男山を錦としたまへり

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(てじからおやまをにしきとしたまへり)

日本の神話に登場する豪力無双の天手力雄命(あまのたぢからおのみこと)である。天照大神が隠れられた天の岩と引き開いて下界に投げ飛ばした。その落ちたところにシナノの戸隠山ができたという。標高2000mの鋸の歯のようにつづく岩峰の裾、参道が尽きるところに戸隠神社の奥社があり、その祭神が天手力雄命である。拝殿の前から頭上を振り仰ぐと、標高差450mの絶壁がのしかかるようで、これが紅葉、黄葉のころ、さながら大絨毯を空から垂らしたようになる。この戸隠山を錦にしたのは神の力だと直感した作者は」、その名を「手力男」(古事記の表記)と表現した。

合評
  • 手力男は天之手力男。アマテラスの隠れた岩戸を開いた力持ちの神が、山々を錦に染め上げたのだろう。 (素秀)

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11月6日

水澄みて金閣の金さしにけり

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(みずすみてきんかくのきんさしにけり)

金閣は室町時代初期に、将軍足利義満が京都の北山に造営した山荘(死後に禅寺となる)の舎利殿で、周囲に金箔(十万枚という)を貼り巡らした三層の楼閣。衣笠山を背景にした池畔に建てられれ、日が照って輝く時、その倒影もきらめく。美しい眺めに魅了された作者は、この句が出来たとき無常の喜びにひたられたと聞くが、まさに極め付きの金閣の句である。

創建以来残っていた金閣は、昭和25年、この寺の学僧によって放火され全焼した。三島由紀夫がこの事件に取材した『金閣寺』は代表作の一つとされ、市川雷蔵が主演した映画『炎上』も秀作であった。金閣は昭和30年に再建、忠実に復元されている。

合評
  • 秋の金閣寺です。池の水も澄みきって金色の金閣寺が映っている。さしにけり、ですから色を差す、紅葉も含めて彩りを増しているのでしょうか。 (素秀)

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11月5日

夜業人に調帯たわたわたわたわす

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(やぎようびとにべるとたわたわたわたわす)

発表当時珍しい題材の句だといわれた。今ではあまり見られないが、昔懐かしい光景である。小規模の町工場は通りからあらわに見え、ところ狭しと機械が置かれている。モーターが唸り、奇怪の主軸とつないで動力を伝達する帯状の平たく長いベルト(革やゴム、布製)が縦走り、横走りして、まるでベルトだらけのよう。その間に黙々と立ち働く人たちの姿が、裸電球の明かりで見える。夜業はそのころごく普通のことであった。騒音の公害訴訟などなかった時代である。ベルトはなぜか少し弛んでいるのが多く、波を打って動いていた。この句、ベルトの動態をとらえるとともに、工場全体も活写されているのは、「たわたわたわたわ」という畳音の効果である。

合評
  • 夜業、今で言うと夜勤というべきでしょうか。ベルトなんかが回っている工場で働いているのかと思います。動力を伝えるVベルトが、たわたわ揺れながら回っているのです。 (素秀)

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11月4日

白拍子斯かる菌と化けにけん

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(しらびようしかかるきのことばけにけん)

白拍子とは平安末期から室町初期にかけて、水干、立烏帽子に白鞘巻の太刀を帯びるという男装で鼓や笛の伴奏によって歌い舞った遊女のことで、源義経の愛人静はその名手であったといわれる。この句は東吉野村での句会で、同席の廃人から珍しい真白な菌を一本呈され、即興で作られた句。原句は「白拍子こんな菌にばけにけり」で、のちに推敲された。句集中のこの句には「杉茸を見る」と脚注がついているが、菌図鑑にあるスギダケ(学名)は松茸に似て白くない。

その句座で青畝師が手にされた白い菌は、奥宇陀のごく限られた地域の杉の切り株にのみ生え、俗名をスギタケと言い、図鑑には載っていない。傘の大きさも柄の長さも15センチほどで、食用になる。スギタケ(学名)の変種と思われる。追補かた逃れる義経とともに、吉野山中まで苦しい旅をした静御前を思い浮かべての句であろう。

合評
  • 山で白っぽい茸を見つけたのでしょう。風に吹かれてふらふら揺れる様子が白拍子の舞のようにみえたのです。 (素秀)

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11月3日

うごく大阪うごく大阪文化の日

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(うごくおおさかうごくおおさかぶんかのひ)

昭和49年11月3日、青畝師はフェスティバル・ホールで大阪府芸術賞の授与式に列した。授与式のあと、服部良一作曲の「大阪カンタータ」が演奏された。この曲を聞いた印象をもって作句されたという。青畝師は大和高取の士族の家に生まれ、大阪のどまん中の商家に婿入りした。大戦災などいろいろあったが、その大阪から芸術家としての賞を受けたことに深い感慨があったと思う。うごくおおさかうごく大阪、という繰り返しに躍動するリズム感があり、活気溢れる商都のイメージがとらえられている。青畝師の大阪へのオマージュの句と言えるかも知れない。

合評
  • 文化の日はもともと明治天皇の誕生日で明治節とも言われていました。戦後に文化の日として国民の祝日となります。大坂という街をダイナミックに表わしているようです。人も街も動いています。 (素秀)

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11月2日

ついと出づうしろ姿の秋遍路

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(ついといづうしろすがたのあきへんろ)

場所は言っていない、札所から札所へ続く一本道だろうと想像する。人通りもない秋の道に、ついと姿を見せて、足早に去ってゆく遍路がいた。たぶんかなりの年配者であって、そのうしろ姿を見送った作者は、ふとその人の来し方、行方というようなものを感じたのだろうと思う。「ついと出づ」という言い方には、軽い驚きとともに、何となく秋めいた感じがあり、「うしろ姿の」にも一抹の淋しさが漂う。二つのことばがしっくりととけあって「秋遍路」に結びつく。さりげなく仕上げながら、ただの風景にとどまらず、その奥に人生の秋を描いた句である。

合評
  • 小路を歩いていたら少し先の四つ辻から遍路がふいに出てきた。思いがけぬ白衣姿にしばらく見てしまったのだ。 (素秀)

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11月1日

威銃大津皇子は天に在り

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(おどしづつおおつのみこはてんにあり)

天武天皇の皇后である鸕野皇女(うののひめみこ)にとっては、病弱なわが子の草壁皇子にくらべて、文武両道にすぐれ、人望のある大津皇子(亡姉大田皇女の子)の存在は不安の種であった。天皇が病に臥して崩御すると、一ヶ月も経ずに大津皇子は謀反の罪を着せられ、その翌日に処刑された。二十四歳であった。葛城山脈の北端、二上山の雄岳(海抜470m)の頂上に大津皇子の墓がある。大和平野から見て夕日の沈む神聖な山である。皇后(持統天皇)がなぜそこに葬ったのか、その心のうちはわからない。大和育ちの作者にとっては、この山の姿はいつ見てもなつかしい感じがしただろう。威銃がさながら弔砲のように稔りの田の面にひびきわたる。この句は省略の妙を極めていて、「天に在り」とからりと言い放った表現に、悲運の皇子へのかぎりない思いが込められている。

合評
  • 威銃は鳥などの害獣を追い払うために撃つもの。悲劇の皇子、大津皇子への弔砲に天に向かって撃ったのである。 (素秀)

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