2020年8月

目次

8月15日

流灯の帯のくづれて海に乗る

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(りゆうとうのおびのくづれてうみにのる)

合評
  • 投稿いただいた記事は編集してここに転記されます。

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8月14日

古里にふたりそろひて生身魂

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(ふるさとにふたりそろひていきみたま)

合評
  • 二人の生身魂は青畝師のご両親でしょうか。故郷を想っているのか、帰省して出迎えてくれたのか、どちらにしても敬う気持ちには変わりはないのでしょう。 (素秀)

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8月13日

花葛の戸に山賤の門火かな

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(はなくずのとにやまがつのかどびかな)

合評
  • 山賤、山で働く人杣人など。粗末な山賤の家の戸に葛の花が取り付いている。まるで門火のようではないか。 (素秀)

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8月12日

「過はくりかへさぬ」碑盆来る

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(あやまちはくりかへさぬひぼんきたる)

合評
  • 原爆慰霊碑の言葉、この時期になると繰り返し聞き、お盆だなあと思うのです。時期に関わらず忘れてはいけないぞという戒めなのか、この時期しか話題にならないという皮肉もあるのかも知れません。 (素秀)

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8月11日

左手をもて白居易の墓掃きにけり

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(ゆんでをもてはくきよいのはかはきにけり)

合評
  • 白居易は唐代の詩人、この句は漢詩の教養が無いと解釈が難しいと思います。左手で墓を掃くことに何か意味があるのだろうとしか言えません。 (素秀)

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8月10日

居り貌に乞食憩ふ門茶かな

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(をりがほにこじきいこほふかどちやかな)

合評
  • 門茶のふるまいに乞食も憩うている。居り貌は居座り顔と読んだらいいのでしょうか。お茶を飲むのは良いけれど居座られたらこまるなあ、と困惑しているのでしょうか。 (素秀)

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8月9日

送行の居残り組も二三日

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(そうあんのいのこりぐみもにさんにち)

合評
  • 安居が解け帰っていく僧たちも、もう残り少なくなってきた。その者たちもあと二三日もすれば居なくなってしまう。夏を惜しむ気持ちも大いにあります。 (素秀)

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8月8日

立秋やレマン湖上の老旅人

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(りつしゆうやレマンこじようのろうりょじん)

欧州聖蹟めぐりの折の作。「かつらぎ」(昭和44年10月号)に「ヨーロッパ土産Ⅰ」と八句発表された中の一句である。ガイドブックによると、レマン湖は水面の標高372m、三日月形でアルプス山系中最大の湖。ローヌ氷河に発したローヌ川がシヨンの近くでレマン湖に流れ入り、ジュネーブから流れ出て南下、地中海に入るとある。同時発表の三句を引く。

レマン湖は初秋風に波見せず
レマン湖もヨット天国風は秋
レマン湖の高厦(こうか)に避暑の客を泊む

『自註・阿波野青畝集』によると、「八月の欧州旅行でもスイスはさすがに立秋を満喫した。120mの噴水を見ながらレマン湖を舟遊した。老旅人の私は古希である」。客観的に自分を写生された句である。

合評
  • 老旅人は青畝師のことだと思います。スイスのレマン湖をクルーズした師が吹く風に秋を感じたのでしょう。 (素秀)

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8月7日

徽墨ありわが日の本の梶の葉に

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(きぼくありかじのはにわがひのもとのかじのはに)

虚子編『新歳時記』に「星祭の、七枚の梶の葉に歌を書いて星に手向ける。昔は七夕の前日に市中を売り歩いたものである」とある。徽州黄山は松又松の山で有名、この山の松から「徽墨」という墨を作るという。中国の名産案内によると、「徽墨は歙県(きゅうけん)で産する。すでに千年の歴史を持ち、種類も多く、かたくて、しかも軽い」と評判も高い。ちなみに歙硯は端渓についで品質がいいとも。中国名産の墨がある。これでもって、わが国の梶の葉に一筆染めて見ようと、徽墨を手にされたのである。

梶の葉にみよわたくしの十七字
一室に淑気を放つ徽墨かな

合評
  • 徽墨は、中国、安徽省産のすみ。名墨として有名。
  • 七夕に梶の葉に歌を書いて手向ける風習があり、近頃では願い事なども書くようです。徽墨を青畝師が所有していたのかと思います。さてこれから一筆したためようかと、いう事でしょうか。 (素秀)

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8月6日

古町の星の手向はむかひあふ

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(ふるまちのほしのたむけはむかひあふ)

森田峠著『青畝句集「万両」全釈』によると、「一読して狭い町筋を想像できる。作者の郷里高取町には、今もこんな道が残っている。星の手向には、きゅうりやそうめんなどを端近に置いて供えたと作者は言っているが、今の我々には狭い町筋の両側に七夕竹の立ててある情景を想像する。(中略)景よりも情に重きを置いた表現で、『星の手向や』ではなく『星の手向は』と言ったところに情が生ずると作者の説明があった」と鑑賞されている。今日であればその町筋に園児や子供達の作った七夕竹が向かいあい、短冊ならぬ漫画の主人公でも吊るされていることだろう。

合評
  • 七夕の飾りが道を挟んで向かい合って並んでいる。古町から古都であろうし道もそれほど広くない旧街道なのかなと思いました。 (素秀)

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8月5日

佐渡を指す紺朝顔の花の上

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(さどをさすこんあさがほのはなのうへ)

昭和54年「奥の細道」越路の旅・出雲崎にての作である。かつらぎ近詠欄に次の三句と共に発表された。

風除のあなたや母の国の佐渡
雁木より佐渡が島根の晴れにけり
浜焼の灰のほとほる雁木かな

良寛堂から良寛の母の国佐渡が見える。良寛の身になって母恋いを詠まれた。お供のれん衆との吟旅の途次、佐渡が一番近く望まれるところで一行に指し示された。紫紺の朝顔の上に横たわる佐渡も又紫紺か。

合評
  • 佐渡での吟行句かと思います。朝顔の花の上の方に佐渡島が見えると指差している。早朝でこれから佐渡に渡るのでしょう。 (素秀)

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8月4日

橐駝師の鋏残酷花木槿

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(たくだしのはさみざんこくはなむくげ)

まだまだこれからという真夏の時期に半分くらいの丈に刈り込まれて驚いた。今年の花を打ち止めにして来年に備えるのが木槿のためなのだろうか。容赦なく刈り込むところを見せつけられて、とがめることも出来ず呆然と見守る外なかった作者が偲ばれる。初案は「橐駝師の鋏酷しや木槿垣」だったが、推敲された。酷し(むごし)は、残酷と同意だが、耳から受ける感じ、目で見るニ文字にきびしく無慈悲なむごたらしさが迫る。垣ではなく花木槿に心を寄せておられるのだ。

合評
  • 『広辞苑』に橐駝は、①ラクダの異称、②(背にこぶのある植木屋郭が「橐駝」と名乗ったことから)植木屋の異名、橐駝師、とある。
  • 橐駝師が植木職人とは全く知りませんでした。思い切った剪定をしたのでしょう。枝を落とされた木槿があわれに見えたのだと思います。 (素秀)

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8月3日

からくりは貝一枚よ走馬灯

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(からくりはかひいちまいよそうまとう)

枠を内外二重に、内側に貼った切り抜き絵が、外枠に貼った紙または布に回りながら映るように仕掛けた灯籠、内枠は軸の上部に設けた風車が蝋燭の熱による上昇気流を受けて回転する。その回転を良くするために、芯棒を小貝に乗るようにしてある。それを「からくりは貝一枚」と詠んでいる。他の仕掛けにはふれず、貝一枚にしぼった面白さはさすがである。

合評
  • 今どきの走馬灯は電気で廻るのでしょうが、この走馬灯は昔ながらの蝋燭か油の灯で廻るもののようです。貝の皿に油が入っているのでしょう、なんと簡単なからくりだろうとの感慨です。 (素秀)

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8月2日

霧ながれゐるをかまはず煙草干す

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(きりながれゐるをかまはずたばこほす)

煙草の葉は7月中旬から8月中旬頃までに摘む。これを縄に掛けて干し、茶色になるまで乾かし、伸ばして専売局に収納する。今は民営化されている。近頃ではビニールハウスの中で干し、ぐるりは黒い布で覆って、あまり覗き込めないようになっている。「霧ながれゐるをかまはず」とあれば屋外のようにもとれるが、私が知る限りではみな屋内で信濃あたりでは家の階下も階上も干し連ね、寝処も煙草に占領されているようなところもあるという。揚句は、おそらく軒端ではないかと思うが庭先かも知れない。いづれにしても繁忙期であることが窺える。

合評
  • 戸隠での作。
  • 戸隠は葉タバコの生産が盛んです。霧の中に干された煙草が幻想的に見えたのかと思います。 (素秀)

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8月1日

はたた神夜半の大山現れたまふ

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(はたたがみよはのだいせんあれたまふ)

自解句集に、「伯耆大山にかつらぎ吟旅をおこなった。(中略)この日、夜になってから天候急変、風雨強く霧の動揺がものすごい。たまたま白鷺一羽が灯る玻璃戸に衝突して、可哀想に頓死した。ますます電光走り、すごい雷鳴を繰り返して夜が更けていった。(後略)」とある。土地の人の言い伝えで、昔から大山の牛馬市の糞流しといって時化模様の雨がよく降るという。この句をよむと、素秀解にもあるように雷光に照らし出された崇高な大山が目に浮かぶようである。

合評
  • はたた神、雷光に照らされて大山の稜線が闇に浮かぶ、実に壮大な光景です。現れたまふ、にも信仰の山に対する畏敬の念も表れています。 (素秀)

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