2020年7月

目次

7月14日

羽抜鶏かくしどころも抜けにけり

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(はぬけどりかくしどころもぬけにけり)

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7月13日

神のます大滝動く雲烟裡

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(かみのますおおたきうごくうんえんり)

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7月12日

端居して太閤の覇を思ひけり

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(はしいしてたいこうのはをおもひけり)

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7月11日

「みつ」と書く桶を頼りの鮑海女

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(みつとかくおけをたよりのあわびあま)

合評
  • 桶に書いてあったみつは名前なのでしょうか。海上に浮いているときは桶にしがみついているわけですし、大事な獲物の入れ物ですからそれは大切なものなのでしょう。 (素秀)

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7月10日

アロハ着たり甚平着たり老気儘

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(アロハきたりじんべいきたりおいきまま)

合評
  • 特に着飾る必要もなく着心地が良くて涼しいものを着ているだけなんだ。自由です。 (素秀)

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7月9日

漁港涼しタンクアポロの顔描く

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(ぎよこうすずしタンクアポロのかおえがく)

合評
  • アポロは出光石油のアポロマークかと思います。漁港の近くに石油かガスタンクがあり赤いアポロの顔が描いてあったのでしょう。 (素秀)

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7月8日

浮いてこい浮いてお尻を向けにけり

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(ういてこいういておしりをむけにけり)

この句は子供の頃、盥の日向水にセルロイド、ブリキなどで作った金魚、亀、白鳥、人形などを浮かべて遊んだことを思い出させる。ブクブク泡を噴いて沈むのは、どこかに穴が開いて水が入ったからだ。水を振って抜いてまた浮かべて、同じことを繰り返して飽きなかった。同時作に「浮人形のつぽ倒れて浮きにけり」がある。この句も「のつぽ」の俗語を楽しく使っている。

青畝師の十一冊の句集に「浮人形」の句はこの二句のみであるが、このような句を詠まれるときの作者はまさに好々爺でもあろう。ぽかりと浮かんだ浮いてこいのお尻は、たまらなく可愛い。

合評
  • 浮いてこいと言えばビニールやプラスチックの水遊び用のおもちゃです。樟脳で水の上を走る船のおもちゃも浮いてこいの仲間です。お風呂であそんでいるのでしょうか。沈めていた手を放すとポコンとおしりを向けて浮いたのでしょう。イメージはアヒルのおもちゃかと思います。 (素秀)

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7月7日

群青の蟹のさみしき泉かな

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(ぐんじようのかにのさみしきいずみかな)

「かつらぎ」は昭和四年創刊。この句の作られた昭和六年には第一句集『万両』が刊行されている。俳壇への華々しい登場であるが、青畝師はその頃の養家の環境を「大阪は十露盤の玉のうごく都会である。私は角帯をしめた管理人、最も封建主義のもとに入って忍辱の修業をつんだ」と述懐している。揚句についても自解に「泉をたずねて実際に写生した。(中略)その泉は崖に覆われてこんこんと清冽な水を噴ききあげた。(中略)やがて目に止まった蟹、青い蟹が石のごとく居る」とある。

青畝師は泉を実際に写生したのであるが、「紺青の蟹のさみしき」には、作者の主情が濃く出ている。封建的な養家での日常は、孤独な日々であったのではないかと思う。この年の九月、戦火は満州事変へと拡大した。

合評
  • 泉に青い蟹が一匹いる。澄み切った透明の水なので水底の蟹もよく見えたのだろう。青をより濃くして、しかし寂しそうである。 (素秀)

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7月6日

蘆雪見て気魄おぼえし夏書かな

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(ろせつみてきはくおぼえしげがきかな)

合評
  • 蘆雪は浮世絵師、気迫みなぎるのは虎の絵でしょうか。それと夏書がどうつながるのかがよく判りません。襖か天井に蘆雪の絵があったとかでしょうか。 (素秀)

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7月5日

生駒より峰山高し麦刈れば

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(いこまよりみねやまたかしむぎかれば)

郷里の高取から真北に見える景色だそうだ。土地の人々がどうして畝傍山を峰山と呼ぶようになったのかはわからないが、峰山には自分たちの山と言った親しみがこもっている。自註には「五年間二里の道を遠しとせず中学に通ったので生駒や大和三山は見馴れて身についた親しい景色だった。わたくしらは畝傍を峰山と呼んだ。頂上へも登ったが実際に低い山なのだ。(中略)この句は畝傍を贔屓する自分の心を表したのであろう」と記している。麦を刈って生駒よりも高く見える峰山、「峰山高し」には童心とも言える喜びがある。

合評
  • 峰山は大和三山の一つ畝傍山のこと。
  • 標高は生駒山の方が高いのですが麦刈りをしている畑からは峰山の方が高く見えています。生駒、峰山、麦畑と位置と視線の移動で拡がりが感じられます。 (素秀)

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7月4日

ふるさとや障子にしみて繭の尿

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(ふるさとやしようじにしみてまゆのしと)

句集「万両」所収。『万両』は望郷の詩であると青畝師は言われた。ふるさとを思う作者に蚕飼のさまざまが明らかに浮かぶのであろう。揚句は帰郷吟である。「ふるさとや」は懐かしさの中でここがふるさとなのだと頷いている。養蚕では、まぶし藁にすがりそこねた蚕が障子に繭をつくることがあるという。最後の排泄物が褐色にしみた飼屋の障子もふるさとなのである。中学校を卒業した作者は嫂の手助けをして蚕を飼ったことがあるとのこと。

合評
  • 青畝師の郷は奈良県、実家では養蚕の手伝いもしていたのではないかと思われます。障子の汚れにすら故郷を想いなつかしんでいるのだろうと思います。 (素秀)

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7月3日

げじげじの命ちりちりばらばらに

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(げじげじのいのちちりちりばらばらに)

高浜虚子に「蚰蜒の打てば屑々になりにけり」の句がある。青畝師の句は「打てば」を省略している。日常語では、ちりぢりばらばらというところを、この句の場合、濁音を消して「ちりちり」と表現しているのである。「ちりちりばらばら」の「ちりちり」は、打たれてばらばらになった蚰蜒の脚にまだ命があり、こまやかに動いているようにも描写が及んでいる。「ちりちりばらばら」と言われてみれば、「ちりぢりばらばら」は、単なる常套語にすぎなくなる。青畝師の言語感覚はデリケートである。

合評
  • ゲジゲジは鳥などに襲われると脚を切り離して逃げます。脚はしばらく動いていて天敵の気を引いているうちに本体は逃げるのです。その様子が命を分けているように感じたのでしょう。げじげじ、ちりちり、ばらばらの言葉も面白く表現されています。 (素秀)

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7月2日

道作りみなひだるしやみちをしへ

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(みちづくりみなひだるしやみちをしへ)

句集「万両」所収の作品。「万両」は、すでに古典であると言われている。「道作り」も現在の道路工事、道路補修とは趣を異にしている。日本が貧しかった頃の田舎の道作りは機械力もなく肉体労働であった。青畝師の郷里では盆前によく道作りが行われ、各戸に賦役があったという。新しい道を作るのではなくていたんだ箇所を修繕したのだそうだ。

「ひだるし」は、ひもじい、空腹、という意味であるが、この句の「ひだるし」からは、そのような生理現象よりも先に、道作りの人たちの緩慢な動作が見えてくる。道をしへは、そのようなことに関わりなく飛び跳ねているのだ。

合評
  • 道の普請にみな腹が減って力が出ない、道おしえだけが元気に跳ねて急かしているようだ。 (素秀)

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7月1日

水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首

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(みずゆれてほうおうどうへへびのくび)

この句は極めつけの名句として多くの俳人に激賞されている。同じ光景を見ても「蛇の首」とは言いとめられない。大方の俳人は「蛇泳ぐ」とするであろうというのが評者の一致した意見である。鳳凰堂へと泳ぐ蛇は、遠ざかりつつやがて視野から消えるはずであるが、青畝師の「蛇の首」は強烈な存在感をもって消え去ることはない。

「蛇の首」は読者をどきっとさせる。しかし「蛇の首」を活かしているのは「水ゆれて」という極めてさりげない描写による導入であることを、見逃してはならないと思う。自解には「ルナールは蛇が長すぎると書いているけれど、私は鎌首だけだったと思う」と述懐しておられる。

合評
  • これは好きな句の一つです。鳳凰堂へ向かう蛇の描写の、蛇の首という写生の簡潔さが素晴らしい。実はこの句から「釣糸を揺らして蛇の首滑る」を毎週に投句しました。蛇の首を使いたかったのですが失敗作なのは言うまでもありません。 (素秀)

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