GHが今日まで継続できたのは、多くの人の祈りと協力による支えがあったからです。

心をつくして主に信頼せよ、自分の知識に頼ってはいけない。
(箴言3.5)

はじめに

ホームページ開設以来ずっとシークレットにしてきたことがあります。それは俳句結社「ひいらぎ」で育てて頂いた私が、なぜ結社を離れてこのようなホームページを運用しているのかと言うことです。

俳句のプロでもない私が何故に指導者まがいの行為をしているかと言うことに疑問を抱いておられる方は多いと思います。インターネットは公共広場なので、その全てを書くわけには行きません。でも私を信用して永年つきあって下さる支援者の方々に対して、ある程度の真実を証しすることが礼儀だと思いました。

結社入会

結社に入会したのは1985年の秋、41歳のときでした。

どうせ1年も続かないだろうと冷やかし半分だったのです。ところが先生がクリスチャンであることがわかってからは嬉しくなって、導かれるままに必死に特別訓練を受けました。1週間に1、2度、多いときは3度、返信用の封筒を同封して先生の添削を受けるために句稿を送り続けました。

1回に送る句の数は平均20句。1ヶ月平均200~300句は送ったと思います。 これが5年ほど続きました。先生から送り返されてきた添削用紙の嵩は50センチ近くあって、いまも残っています。 GHで添削指導の真似事ができるのはこの体験があるからです。

先生からの手紙

高齢者が中心の結社の中で当時41歳といえば青年扱いです。

先輩の方々からもかわいがられ、句会や吟行のお世話のほか結社の事務的なお手伝いなどを喜んで奉仕していました。段取りや事務処理は私にとっては、さほど苦にならない仕事だったので先生や先輩の方々への恩返しだと思って一生懸命やりました。 ある日先生からのお手紙に、次のようなことが書いてありました。

あなたの奉仕の姿勢には感心します。 私もキリスト教の奉仕の精神で俳句の指導にあたっています。

当時の先生の俳句指導は全くの無料奉仕でした。

この先生のお言葉に感動した私は、自分も将来、俳句を通して社会に奉仕できるような働きをしたいと祈るようになったのです。

先生の特訓を受けながら結社での成績は見る見る向上していきました。普通の人の10倍近いペースで先生の指導を受けているのですから当然といえば当然ですよね。でも上達したいという思いは強くありましたが有名になりたいと思ったことは一度もありませんでした。

成績が上がるにつれて特別扱いを受けていることに何となく後ろめたさを感じるようになり、また結社の人数も急増して先生も多忙になられたので、いつの間にか添削指導を受けなくなっていました。いま振り返ると私の進歩もそれ以来止まってしまったように思います。

結社離脱

結社に所属した15年あまり、俳句を通して得た最大の財産は素晴らしい人間関係でした。

会社人間であった私は、仕事を通しての人間関係に何度もつまづいていました。自分自身も知らず知らずに多くの人を傷つけたと思います。どうしても利害が絡むので結局心を開いてつきあえる人はそれほど多くないのです。

でも、俳句のつき合いは違いました。

たとい初対面の人であっても、誌上で俳句を拝見していますから、○○さん…と呼び合えば、まるで昨日の知己のような感じで心おきなく話しが弾むのです。自分自身のわがままもあって結社を離れた今も、みのるさん…と存問の便りや電話をいただくと涙が出そうになるくらい嬉しいです。この人間関係は私の宝物です。

結社を離れる数年前から、いろんな問題が私を悩ましました。

阪神淡路大震災以降はそれまではマイペースでこなせた会社の仕事も超多忙になりました。バブル景気のはじけたことも併せて、俳句のために時間を割くのはかなり制約が出てきたのです。それでも自分のライフワークから俳句を取り上げたら全ての支えを失うような錯覚があって、なんとかやりくりしては今まで通りの俳句生活を続けようと頑張りました。

でもそんな無理は長続きしませんでした。あまりにも俳句生活を優先しすぎたために、仕事や信仰生活(教会活動)にしわ寄せが行き、そのつじつまを合わせるために偽善的に振る舞っている自分自身がいやになったのです。

この時点では結社内で自分が担当する種々の事務責任も大きくなっていました。これを投げ出して投句だけを続けることは無責任極まりないことだと考えていたので、結社の奉仕を放棄するということは作句活動もやめることだと認識していたのです。

結社を離脱することは自業自得なので割り切れると思いましたが、私を応援してくださった多くの誌友の信頼を裏切ることが一番つらいことでした。また同時に結社に対しても多大な迷惑がかかることも十分承知していました。それだけに離脱を決断するまでに一年以上悩み続けました。でも自分や他人には嘘をつくことはできても神さまを欺くことは出来ませんので、究極の選択は一つしかなかったのです。

インターネット活動への船出

結社の俳句活動を離れたことで時間的な余裕ができ、気持ちもすっきりして会社の仕事に、教会の奉仕にと励むことができました。というより、それらに一生懸命打ち込むことで俳句を離れた寂しさや空しさから逃れようとしていたのかもしれません。

震災対策が一段落しバブル崩壊による不景気も悪いなりに落ちついてきました。時間的な余裕が生まれはじめたので前から興味のあったコンピュータープログラミングやインターネットの勉強を始めたのです。

凝り性な私は、インターネットの世界にのめり込んで俳句のことはもうすっかり忘れていました。そんなある日俳句結社の大先輩から、仕事も落ち着いたのなら結社に復帰するようとのメールが届いたのです。でもそれは余りにも身勝手ですし私にはその勇気がありませんでした。

というより余生のライフワークとしての新しい夢が芽生え始めていたからです。つまりそれがWEBサイト「ゴスペル俳句」だったのです。

初心者の俳句指導はとてもエネルギーのいることです。でも私の学んだ紫峡先生はキリスト教の奉仕の精神で無償でそれを与えて下さったのです。私は神様に祈って自分の進むべき方向を探りました。自信などかけらもありませんでしたが神様の導きを信じて舟を漕ぎ出すことにしたのです。

沖へこぎ出しなさい(ルカによる福音書 5:4)

挫折

とにかくキリスト教の奉仕の精神で敷居の低い俳句サイトを実現したいと祈り「ゴスペル俳句」という小舟を漕ぎ出しましたが「俳句初心者のために…」という思い上がった力みが参加者との誤解を生じ、忽ち沈没しそうになりました。

「ゴスペル俳句」という福音的なタイトルのゆえにサタンの働きをもっとも警戒していた私は、必要以上に神経質になっていたのです。なんとか自分の頑張りで立て直そうと必死に舵をとりましたが全てが悪循環して行き詰まってしまい、何のためにこのサイトを立ち上げたのかその目的すら見失ってしまいました。

そんな状況をいち早く察知したクリスチャンサイトの仲間たちが私のために祈って下さったのです。

みなさんのお祈りで冷静さを取り戻したとき、自分の頑張りでサイトを運営しようとしていた間違いに気づかされました。何よりもまず祈りが必要なこと、神様の導きにゆだねることの大切さを改めて学ぶことが出来ました。「ゴスペル俳句」運営の志は、信仰の弱い私を強くするために備えて下さった神さまのご計画だったのです。

神様の祝福

GHを開設してまもなくサイトの活性化対策について祈っているうちに「毎日句会」の構想を示されました。

毎日句会を立ち上げてからも試行錯誤の日々が続きました。数名の参加者で息も絶え絶え…という時に不思議なように支援者が与えられたり、その後何度も不思議な摂理を感じつつ成長してきました。やがて毎日句会は、すっかりゴスペル俳句の要となり今日の活況を得るようになったです。

GHを応援して下さるお一人お一人との不思議な出会いには運命的なものを感じますが、まさに神様の祝福としか言いようがありません。

ゴスペル俳句物語にはまだまだ書き尽くせないほどのストーリーがありますが続きはまたの機会に委ねます。

おわり(2002.5.6 みのる)

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