星野富弘さんの詩

やまだみのる

苦しみに会ったことは、私にとって幸いでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
*旧約聖書 詩篇119篇71節*

目次

みのるの証し

今から15年前のことです。ささいな人間関係のつまづきが重なり、また家庭では痴呆症のひどくなった父親の介護に疲れて、苦悩の日々を過ごしていました。そんなある日、偶然NHKのテレビの番組で 星野富弘さんのことを知り、自分の愚かさに気がついたのです。これほどのハンデを負いながら、生き生きとしておられる星野さんの姿に、真の神さまの存在を知らされました。 (1984.12.24)

絶望の淵から、真の神さまの愛を見出し、 ”詩篇119篇のみことばは私の信仰告白です。” と、おっしゃった星野さんのことばに、今までの自分の悩みや苦しみとは次元の違うことを思い知らされ、「 本当の苦難の意味 」 を悟りました。頭をガーンと撃たれたような衝撃が走ったのを今も覚えています。

星野富弘さんの詩

きく

よろこびが集まったよりも

悲しみが集まったほうが

しあわせに近いような気がする。

強いものが集まったよりも

弱いものが集まったほうが

真実に近いような気がする。

しあわせが集まったよりも

ふしあわせが集まったほうが

愛に近いような気がする。


花しょうぶ

黒い土に根を張り

どぶ水を吸って

なぜきれいに咲けるのだろう

私は

大勢の人の愛の中にいいて

なぜみにくいことばかり

考えるのだろう


なずな

神様がたった一度だけ

この腕を動かして下さるとしたら

母の肩をたたかせてもらおう

風に揺れる

ぺんぺん草を実を見ていたら

そんな日が

本当に来るような気がした


なのはな

私の首のように

茎が簡単に折れてしまった

しかし菜の花は

そこから芽を出し

花を咲かせた

私もこの花と

同じ水を飲んでいる

同じ光を受けている

強い茎になろう


やぶかんぞう

いつか草が

風に揺れるのを見て

弱さを思った

今日

草が風に揺れるのを見て

強さを知った


ねこじゃらし

思い出の向こう側から

一人の少年が走ってくる

あれは白い運動靴を

買ってもらった日の

私かもしれない

白い布に

草の汁を飛び散らせながら

あんなにも

あんなにも嬉しそうに

今に向かって走ってくる


むらさきつゆくさ

二番目に言いたいことしか

人には言えない

一番言いたいことが

言えないもどかしさに

耐えられないから

絵を書くのかも知れない

うたをうたうのかもしれない

それが言えるような気がして

人が恋しいのかもしれない