やまだみのる

俳句を始めたばかりの初心者が、我流で上級者の作風の真似をされても成功する確率は極めて低いと思いますが、最初からそういう学びを目指したいというなら、 で寄り道などしないで結社へ入られることをお勧めします。

私の場合は、無謀にもいきなり結社で学んだ口ですが、同じ結社で学ぶ方のなかにも基本的な学びや訓練の期間を忍耐できず、主観傾向に走りやがては虚構の世界に誘惑されて挫折し、結社から去っていかれた方を何人も見ていました。

学歴や社会的地位のある人ほどその傾向がつよい。

何人もの作家を育てられた私の先生は、よくそう言っておられました。プライドという世的な衣を脱ぎ捨て、赤裸々な自分を表現できるところまで脱皮できなくては、本物の俳句は授からないと言うことでしょうね。

このサイトは、真剣に俳句を学ぼうとされる初心者の方々が、本格的な結社での学びを始められるまでの道案内をし確かな基本が身に付くようにお手伝をすることが目的です。それが先師から託された使命だと考えているのです。 はあくまで『入門俳句道場』なのです。

写生の訓練にに励みしっかり基本が身についてくると、写生句でありながら個性あふれた作品が生まれ始めます。そのように導くのが指導者としての義務であり責任だとも言えます。箸も棒にもかからなかった初心者が、個性的な作家としての芽を出し始めたとき、何にも変えられないほどの喜びを覚えます。これが指導者の特権であり報酬なのです。

客観とか主観とかを論じたり、類句だ類想だと騒ぎ立てている様子は悲しいことです。ほんとうに大切なのは『個性』だと思うからです。誰にも真似のできない個性あふれた作品を目指すことこそ『究極の学び』だと信じて疑わないのです。

敬愛する青畝先生が『個性』について触れておられる文章がありますので、その一部を引用しておきます。

・・・写真で見たその人よりも、漫画のように省筆して描かれたその人のほうが、格段とその人の真が伝わって感じられるという場合が多い。これは道理に合わぬようで、むしろ真に迫るからふしぎである。このようなことは俳句にも行なわれていて、こうした俳句に現われる変容は、作者の直感が最もよく正直に写しこなした描写である。

青畝先生の俳話、 『個性と写生』 よりの引用

(2004年06月08日の日記より)