やまだみのる

教会では来週から【待降節】(キリスト教で、降誕祭(クリスマス)前の四週間。

旧約の民にならい、 主キリストの誕生を祝う準備の期間。アドヴェント。)に入ります。 聖歌隊は、その1ケ月以上も前から、クリスマスイベントのために特訓を始めます。 きょうも、礼拝後の練習をしましたが、専門の声楽の先生が指導に来てくださいました。 その中で、先生が「心を無にして歌う」というお話しして下さったのですが、 なんと俳句にもぴったりのお話でした。

どう音を出そうか、どう口を開けようか、音の大きさはどのくらい、それから長さは・・・などと頭を使わず、 心を無にして、普通におしゃべりするような口の動きで歌いなさい。というのです。 譜面を読んだり、発生練習をしたりなどの、いろんな基礎知識の学びは当然必要です。 けれど、本番で歌うときには、まったく無になって自然体で歌う。 専門家の歌手はその訓練をするそうです。

俳句も全くそのとおりで、基礎的な知識は必要ですが、知識で句を詠むのではなく、 心を無にして、自然体で対象に対すること、 そして対象の方から語りかけてくるもの、ひびいて来るものをとらえることが大事なのです。 ですから、吟行にでかけ、心を無にして対象に集中する訓練をするのです。 あれもこれもと欲張って頻繁に動き回ってはいけないといわれるのはそう言う意味なのです。

頭で考えて句を作る方法は、苦痛を伴うので疲れます。 そして、知識や経験が増えて行くほどに、余計にあれこれ考えてしまうので、 結局は壁にぶち当たって挫折します。これでは俳句をする意味がありませんね。 吟行が苦手・・という方は、心を無にする訓練が足りないからです。 どうか、本物の吟行法を心がけて下さい。 これが、上手になってくれば、俳句はとてもよい気分転換となり、ストレス解消に役立ちます。

毎週1回、1時間でも良いです。遠くへ出かけなくても近くの公園でも、家の近所の散歩でも良いのです。 俗事のすべてを忘れ、心を無にして対象に集中する訓練です。 初めは、句が授からないこともあるでしょう。それも一切気にせず、黙々と訓練してみて下さい。 必ず変わってきます。

もうひとつ大切なこと。それは、正しい鑑賞の訓練です。 別な言い方をすると、鑑賞の訓練は、感性の軌道修正です。 理屈作家は、素直な鑑賞では物足りないので、 必ずなにか裏があるのでは・・というように、穿った見方をしたり、 ひとりよがりの鑑賞をします。 これを軌道修正しなければ、決して素直な佳句は詠めません。 とても残酷な言い方になって恐縮ですが、鑑賞力以上の句は詠めない・・ということです。

成績や上達にはこだわらない。 余暇としての俳句ライフが楽しめればそれで十分・・と仰る方は多いです。 そのとおりですね。 私たちは心の渇きを癒すために詩を詠むのです。 そして本物の詩は人の心に響いて、慰め、励まし、安らぎ、希望、勇気を与えてくれます。 本物を目指して努力する事で、自分自身も救われる・・これが俳句ライフの効用なのです。

日記と言うより、「作句の壺」の内容になってしまいましたが、声楽の先生のお話に納得しながら思いついたことを書いてみました。

(2002年11月24日の日記より)


 

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