やまだみのる

句会で一句評をするとき、「互いの句を褒めあうだけではおもしろくない。 没句のどこが悪いのかを論じあった方が勉強になる・・」と、力む人がある。 中には、「そのとおりだ・・」と、それに同調する人もいる。 確かにそれは間違いではないかもしれません。 事実、そのような研究会を推進される指導者もおられます。 でも、ぼくはその意見に反対です。

20年近くいろんなタイプの俳人と関わってきて、議論が好きで欠点探しが得意というタイプの人で、 且つ俳句が上手という人にはあまり出会ったことがありません。 俳句は理屈や論理で作るのではないので、「理論派=俳句が上手」という関連にはならないからでしょう。 初心者の句の欠点について得意げに語る人たちに、秀句の長所について意見を聞くと決まって寡黙になります。 つまり、いつも欠点探しを優先して鑑賞するので優れた点を深く鑑賞することに視点が届かないのです。

初心者の中にも、作品のどの部分がどう悪いのかを執拗に知りたがる人がいます。 そうした理屈を先に知ってしまうと、吟行で句を作ろうと思っても理屈がじゃまをして心を無にすることができず、 集中する訓練ができていないので、結局あれこれひねくり回して頭で考えて作るようになります。 俳句は「詩」です。考えて作った詩は決して人の心には響きません。 ほんとうに感動して、またその感動をとらえて授かった詩は、必ず他人の心を打つはずです。

「鑑賞力のある人=俳句が上手」という関係は紛れのない事実です。 ゴスペル俳句には鑑賞のページがいくつかあります。 その中でも「自由鑑賞」は、毎日句会や月例句会などの仲間の作品を鑑賞して、 その感想を書いていただくページになっています。 ぜひ、勇気を出して気軽に書き込んでください。 自分はこの句のどこに感動したか、共感したかと言うことを具体的に書いてほしいのです。 これが正しい鑑賞の姿勢です。

「自由鑑賞」だから何を書いても良い・・という意味ではありません。

こうした内容はマナーに反します。 インターネットは公共の広場です。 批判・非難・比較論など相手に不快感を与えるような発信をしないことは最低限のマナーです。 メールを出す前、掲示板に書き込む前、どうぞ書いたことをもう一度みなおしてください。

(2002年2月6日の日記より)


 

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