やまだみのる

作風ということを論じるときに、虚子先生の高弟で水原秋桜子と高野素十との比較論がよく例にだされますが、 ぼくはどちらかというと素十派です。 別に秋桜子が大嫌いという意味ではないので誤解のないようにしてほしいのですが・・

秋桜子の代表作品に次の一句があります。

啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々  秋桜子

この作品を絶賛される方は多く、それゆえ秋桜子が素晴らしいと支持される。 確かに叙情的で素敵な句ですね。でも、ぼくはどうしてもこの句を好きになれないのです。 技巧というか作意が見えてしまうからです。 彼の作品に、

山焼く火檜原にくればまのあたり 秋桜子

というのがあり、この句はぼくも好きです。 この作品はあきらかに吟行句です。 一方、高野素十の作品も紹介してみましょう。

玉解いて立ち並びたる芭蕉かな  素十
雁の声のしばらく空に満ち    素十

素十の作品には装飾も虚構もありません。 ただ、見たままを素直に写生して、なお真実な力強さがあります。 これが本物の句の命だとぼくは思うのです。

(2002年1月31日の日記より)


 

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