みのる:今となっては作者に確認できないのですが、私も産土神の略と解してとりました。俳句ではそういう使われかたが暗黙の了解になっています。産土神と書いて「うぶすな」と読ませる選択もあったと思いますが律義な作者はそうしなかった。谷戸深くある故郷の産土神社を連想させることも意図に含まれていたのでしょう。季語の年木は新年の燃料として暮れのうちに用意した薪のこと。初詣の里人らをもてなすために用意されているのです。

澄子:産土の意味をどう捉えるか……私はお住まいお近くの神社としました。積み上げられているのは神事で使われる大切な年木。作者の御出身が寒冷の地であればその様な情景もあるかとも思いましたが……今や薪の準備はかなり重労働でかつ贅沢なこと 薪に適した樹も選びますから 屋敷林や入会地が近くにあればこそ……そんなことを諸々想いました。

えいいち:「年木積む」から帰省して家々の軒に正月用の薪が高々と積まれ新年を迎える準備万端の故郷の町を眺め歩いている作者を想像しました。作者はその光景に、さあ新しい年がやってくるぞ、と期待を膨らませているように見えます。そして、故郷を産土とすることで生まれ育った土地、人、親への愛着、愛情の深さを詠っているのではないでしょうか。

かえる:産土の解釈に迷いましたが、産土神、すなわち神社と考えました。年木の解釈も難しいのですが、積むとあるので、燃料としての薪なのではないかと思いました。大晦日から年始にかけて、神社は火を焚く行事が目白押し。それに備えて氏子さんも協力して薪を集め、早くから乾かしてきたのでしょう。高々と積み上げ、切り口のややくすんだ薪は新年を迎える準備万端。幾分誇らしげに見えたのではないでしょうか。

康子:故郷に戻ったところ、新年を迎えるための燃料の薪が高々と積んであった。周りの家々にも薪が積んであるのでしょう。新年を迎える準備を整えている村の景色が浮かびます。「軒高々と」により長い冬が続くことを表しています。「年木積む」の語順により、年老いたお父さんが薪を積んだのか、と複雑な想いなのかもしれません。また幼い頃を思い出して一瞬足を止めているのかもしれません。「産土」の表現により故郷を愛している気持ちが伝わりました。

むべ:「産土」には①出生地②産土神の略、の主に二つの意味があるそうです。ここでは①ととりました。「年木積む」は、新しい年に使う薪を年内に伐りだして来ること。CO2削減を目標に掲げている現在では、あまりにお目にかからない季語だと思います。作者が年の瀬に再訪した故郷で出会ったのは、薪が家々の軒に届くほどに積まれている景色…もうすぐ今年も終わり、新しい年がやってくる…そんな感慨とともに、幼い頃の暮らしに対する懐かしさもこみあげてきたのかもしれません。薪を用意する手間や時間を考えますと、何でもタイムパフォーマンスの良し悪しでやるやらないが決まってしまう現在とは隔世の感があります。