かえる:福笹が新年の季語である十日戎の子季語です。私は関東人なので福笹には馴染みがないのですが、画像を拝見して酉の市の熊手のようなものなのかなと思いました。毎年恒例の福笹を無事に入手してホッとしたら急にお腹が空いてきました。立ち食い蕎麦に寄ったはいいものの肝心の福笹の置き場に困り果てます。床に置くこともできず、カウンターに乗せるのも憚られ、結局は左手で掲げたまま、右手だけで器用に啜ります。自分でも可笑しくて笑ってしまいます。頑張ってすする蕎麦はさぞかし美味しく身も心も暖まったのではないでしょうか。

澄子:「福笹」が新年十日戎の子季語。お参りした神社最寄り駅構内の「立喰そば」屋を想像致しました。普段は殺風景であろう立ち食いそば屋に福笹があるだけで色彩が加わり そこに人々の新年への意気込みや十日戎の賑わい、熱気が伝わってくるようです。「そばすする」に駅構内の雑踏の音や慌ただしさ 混雑している様子が窺えます。 

康子:「福笹」は新年の十日戎の子季語。笹に、えびすさまのおふだをはじめ鯛や小判などの福々しい飾り(吉兆)を付けた縁起物で、えびすさまのお力が最も高まる十日えびすの授与品として授かるもの。お正月の雰囲気から一気に「立喰そば」という「日常」に場面が変わるのが面白い。「正月行事もこれで一区切り。今年も頑張るか〜」と気持ちを切り替えている様子。流れるような措辞になっているので「ここからまた日常が始まるんだ」という淡々とした気持ちを想像しました。

せいじ:福笹が新年の季語。十日戎の今日、神社のある駅前または駅のホームの立喰そば屋では、そばをすすっている人の多くが、いつもと違って、福笹を提げていることに気づいた。福を願う人々の持つ福笹が、ただちに立喰そば屋に商売繁盛という福をもたらしているかのようである。一つの風景から、十日戎の賑わいが感じられる。

むべ:「福笹」が新年「十日戎」の子季語。戎神社は西宮神社(西宮)、今宮戎神社(大阪)、恵比須神社(京都)、十日恵比須神社(福岡)などが有名とのこと。福笹は、笹の小枝に吉兆や小宝と呼ばれる縁起の良いオーナメントをとりつけたもので、自宅に持ち帰り神棚、なければ南または東に向けて壁などに飾るそうです。ここでは、新年明けて1月10日に神社にお参りに来たと思しき福笹を持った人と作者とが、駅なかの立喰そば屋さんでたまたま隣り合わせになったのではないでしょうか。寒いし小腹が空いたし、でも時間はあまりないし、さっとおそばを食べて次の用事に向かおうという、やや慌ただしい様子も伝わってきます。外は寒く、おそばはアツアツで、おそばやさんのガラス戸が曇っているのまで想像できます。忙しいけれど、今年も(今年は)幸運でありますようにと願っている人の、年の初めの気分てまさにこういう感じですね。リアリティがあります。