康子:歌がるたが新年の季語。膝を撫でている「手」の様子から、次の札を出したら勝ち!と思っている様子が伺えます。また口角が上がってるいる顔も想像できます。新年の静かで穏やかな雰囲気の中、動きや楽しさを感じる句だと思いました。

むべ:「歌がるた」が新年の季語。家庭での新年の楽しい行事なのか、近江神宮で行われる競技かるたなのか、想像が膨らみました。娘が競技かるた部に所属しているのですが、競技では少し前のめりに座る姿勢をとるため、両手は畳に置くことになります。ここでは「膝撫ぜて満を持す」とありますので、おそらく上体を起こしている姿勢で得意札が来るのをじっと待っているのでしょう。競技のしびれるような緊張感というよりは、家庭で親睦を深める楽しさが句意ではないでしょうか。新年を寿ぐ気分や、おめでたい雰囲気も伝わってきます。

澄子:「歌がるた」が新年の季語。拝誦し私は家庭内での歌留多の情景が甦りました。幼い頃娘は歌留多に負けると大泣き。そして私が子供の頃、私より小さかったいとこ達は 自分のお気に入りの札を死守しようとして必死……特に札が残り少なくなるとその周りに集まり必ず小競り合いが始まるのです(笑)。彼彼女らが「膝撫でて」いたかまでは記憶にないのですが おそらく撫でていたことでしょう。まさに「満を持す手」で! 静止の景ですが既に動的なエネルギーを感じました。

かえる:歌がるたが、新年の季語である歌留多の子季語です。得意の札が詠まれるのをじっと待っているのだと思います。他はとられても良いが、これだけは譲れないという札があるのでしょう。膝を撫でながら、一文字目に全神経を研ぎ澄ませています。この句からひりひりとした空気が伝わってきます。

せいじ:歌がるたが新年の季語。稲畑汀子と宇多喜代子の俳句展において、「加留多とる皆美しく負けまじく」という虚子自筆の掛け軸を見たばかりであるが、競技会であっても、家庭で楽しむ歌留多取りであっても、競技者は、絶対に取るぞという気構えをもって、上の句が読まれる瞬間を待っている。そのような緊迫した雰囲気の中では、競技者は、不動の姿勢で構えているものと思っていたが、案に相違して、取る手が膝を撫ぜていた。観察によってそれを発見したところがすばらしい。