康子:「懐手」が三冬の季語。寒い戸外、手をポケットに入れながら歩いている。「舌頭に千転せむ」とは、何度も何度も呟きながら句の推敲をしている。音の響きを耳で確かめながら。「懐手」によって手が悴み背中も丸くなるほど長い時間外を歩き回り、暗くなった道を1人歩き回っている様子が想像できます。

澄子:「懐手」が三冬の季語。簡潔でそのものずばり、ダンディズムを感じました。「舌頭」「千転」沈思黙考……手を暖めながら俳句を推敲している作者の姿が浮かびます。戸外で佇んでいるのか……歩を進めながら集中しているのか……。余談ですが「懐手」というと私は戦前の和服姿の文豪の立ち姿をイメージしてしまいます。ちょっと古風で孤独な雰囲気のある面差し……懐手は男性に相応しい季語のように思えました。

かえる:懐手が三冬の季語です。芭蕉の舌頭千転という言葉をこの句をきっかけに知りました。懐手せずにいられない寒さの中、数えきれないほど原句を舌先で転がし、推敲を重ねる姿に、作者の俳句への凄まじい気迫を感じます。背中をピシッと打たれたような気持ちになりました。

えいいち:懐手が三冬の季語。俳句の推敲や鑑賞は何べんも声を出して詠むことが大事なのだということですが中七の・・せむと、の措辞に寒さに負けぬ作者の強い意志を感じます。

むべ:「懐手」が三冬の季語。本来は和服の左前に手を入れて温めることだったようですが、現代では上着やズボンのポケットに手を入れているかもしれません。「舌頭に千転せむ」は芭蕉の名言へのオマージュととりました。短歌でしたらいわゆる本歌取りでしょうか?(俳句ではなんというのかわからなくてすみません。)ところで、芭蕉の時代きっと紙や墨はとても高級品だったことと思います。また、書いてまた消してということもやりにくい。作者はおそらく屋外で、寒さに耐えながら、芭蕉のごとく頭脳というノートに句を推敲している最中なのではないでしょうか。iPhoneのメモ機能は最近またバージョンアップされて使い勝手がよくなりました。便利さと真剣さが反比例しないよう、日々努力あるのみです。

せいじ:懐手が三冬の季語。去来抄に「句調はずんば舌頭に千転せよ」という芭蕉の言葉があるらしい。作者は芭蕉の教えを実践している。寒さで凍えた両手を和服のたもとか胸元に差し入れ、声を出して句の調子を整えている。声を出すと、寒さも忘れてしまうのではないだろうか。

あひる:懐手が三冬の季語。舌頭に千転とは何度も何度も口ずさむこと。口ずさんでいたのは、自分が今詠もうとしている俳句の推敲の繰り返しではないでしょうか。冬の冷たい空気の中で、対象物をじっと見据えて考えている作者、次第に手も悴んできます。腹を据え、納得のいく句になるまでは!と、懐に手を入れて、じっと外気の中に佇んでいる作者を想像しました。