康子:「神迎へ」が初冬の季語。出雲大社へ参集していた神々が会議を終えてもとの社へお帰りに なる、それを迎える祭事、行事、とのこと。その日は道や家の明かりを消し家族全員で家の前に立ち、口をつぐみ首を垂れて神様方をお迎えするのだそうです。その気持ちを「鳩」で表現していることがとても面白いと思いました。ただ羽繕いではなくそれを「余念なき」とすることで「神迎へ」の敬う気持ちを表現していると思いました。押し付けがましくないさらりとした内容が逆に季語の神々しい雰囲気を感じさせる句になっていると思いました。

澄子:「神迎へ」が初冬の季語。陰暦十月晦日 十一月一日出雲大社からお帰りになる神を迎える神事とのこと。「羽づくろひ」に「余念なき鳩」は習性として無心に羽を整えているだけでしょうが、その仕草はあたかも神を迎えるために一生懸命身繕いをしているように作者の目には映ったのかもしれません。或いはもっと即物的に神事や人の思惑とは無関係に一生懸命羽繕いする鳩に愛しさを感じたのか……想像が膨らみました。「余念なき」という中七の表現 私にはなかなか思いつきません。

えいいち:神迎が初冬の季語。鳩は神様を迎えるために綺麗に羽繕をしているように見えます。皆、喜んでいる様子が感じられる情景です。

かえる:神迎へが初頭の季語です。出雲から帰って来られる神様のお迎えの準備にみなが奔走していますが、鳩も例外ではありません。自身の身だしなみを整えています。色々な神様がいらっしゃいますが、この神社の神様は優しくて下々にまで慕われているのでしょう。余念なき、に鳩が一生懸命羽繕いして、できる限り綺麗な姿でお迎えしようという神様への尊敬と親愛の情を感じます。神様はそんな鳩にも目を止めて、美しい羽を誉めてくださるのでしょう。褒められた嬉しさに舞い上がる鳩の様子が浮かび、暖かい気持ちになります。

あひる:神迎えが初冬の季語。神無月が終わり、神の帰還を祝う喜びの行事とのこと。鳩はそんな行事にはお構いなく、いつものようにせっせと羽づくろいをしていたのだと思います。それを、まるで喜びの儀式のために身なりを整えているように感じたのでしょう。儀式のために忙しい人間達と、のんきな鳩が一句の中にユーモラスに描かれていて作者の温かい視線を感じます。

むべ:「神迎へ」が初冬の季語。陰暦10月末日または11月初日に、出雲へ出張中?だった神々が戻られるのを迎える神事のことだそうです。神社の境内で、鳩たちが一生懸命に羽づくろいをしている様子を見て、作者ははたと今日が神迎えの日だと思い出したのでしょうか。澄明な大気、気温や湿度の低下などをこの季語から連想します。冬の到来を予感させるようなすがすがしい光景です。

せいじ:神迎へが初冬の季語。神迎へは、神々の出雲からの帰還を迎える祭事であって、10月末日か11月1日に行われるとのこと。そのような神社の境内で、鳩が羽繕いに夢中になっている。小春日和なのだろう。神々を迎えるにあたって、鳩も身なりを整えているのかもしれないと思うのは、人間の勝手な思い入れであって、鳩に余念はない。祭事に夢中な人間と、羽繕いに夢中な鳩との対比が面白い。