康子:「鳰」三冬の季語。初めて知りました。調べてみたところ陸上に上がって休むことはなく、また飛ぶこともなく潜水が得意とのこと。長い時間潜ってどこかに行ってしまい、突然遠くの方でひょっこり水面に上がってきたのでしょう。「鳰潜く」で終わっているのでまた潜ったのでしょう。「こそ」の意味を考えてみましたが、水の中でエサを探している鳰も鳥なんだよなぁ〜息を止めてるのか〜息継ぎしてまた潜るのか〜という心境なのでしょうか。長く佇んでいたが故に思う心情だと思いました。

あひる:鳰が三冬の季語。一年を通して湖沼や川で見られるけれど、あたりが枯れ果てた中で目立つ鳥だそうです。同じカイツブリ科で冬鳥として渡来する種もあるので冬季とされてきたようです。滋賀県の近江八幡の水郷めぐりで、それは忙しく潜ったり浮いたりの鳰を見たことを思い出します。本当に息を継ぐ間もなさそうでしたが、苦しそうな様子もなく、パワフルでした。息継ぎに目を止める感性に学ばせていただきました。

澄子:「鳰」が三冬の季語。万葉の古より愛された(かいつぶり)という水鳥。「息を継ぐ間もあらばそ」……息を継ぐ間もないことでしょうよ……水面に姿を現わすのは一瞬直ぐまた潜水してしまい なかなか姿を現さない……そんな鳰の生態を想像致しました。この御句の魅力は古語をみごとに使いこなされた簡潔さに尽きると思いました。

かえる:鳰が三冬の季語です。この鳥の生態をよく知らなかったのですが、少し調べて潜水の名手でもあることを知りました。何事も表裏一体。見事な潜水は、水上での存分な息継ぎと身体能力が支えています。あらばこそ、に光の当たる場所には必ず影があり、影あらばこそ光を得られるのだと、人生へのエールのようなものを感じました。

むべ:「鳰」が三冬の季語。手元の歳時記では鳰の漢字に「かいつぶり」のルビが振られ、「にほ、にほどり」が子季語として掲載されています。「息継ぎする時間もまったくなく、かいつぶりが潜っているよ」というのが句意だと思います。ところで「鳰鳥の潜く池水心あらば君に我が恋ふる心示さね」という万葉集の歌があるのですが、そちらを思い出し、湖(池)の水面の冬ならではの美しさがあったのかなと想像しました。日本では古来から親しみのある水鳥(渡り鳥?)なのでしょう。水に入る(潜る)鳥ということでこのような漢字になったという説明をインターネットで見かけ、漢字が苦手な私はとても覚えやすいなと思いました。

えいいち:鳰が三冬の季語。鳰は潜水が上手な水鳥だそうですが実際には見たことがありません。句からの全くの想像ですが相当長い時間か潜っていたり、頻繁に水に入る光景を思い浮かべましました。ネットで写真を見るととても愛らしい姿なので川辺へ行って探してみたい気持ちになりました。

せいじ:鳰が三冬の季語。鳰の潜水風景である。鳰は最長約25秒も潜ることができるので「息長鳥」の異称もあるとのこと。潜ったらなかなか上がってこないから、息継ぎをする間があるのだろうかと疑念を抱かせるほどである。「~もあらばこそ」と強く否定しているところに驚きと感動がある。