康子:「遊泳して落ちず」の措辞と三冬の季語「炉」によりゆったりとした長い時間が流れている様子が想像できます。埃が天井に浮いたままで、ただその動きだけに注目しているという「無」の気持ちが伺えます。「落ちず」で終わっていることでさらに長く続くゆったりとした時間が想像でき余韻が残ると感じました。

あひる:炉が三冬の季語。白川郷の合掌造りの家屋にある囲炉裏、また子どもの頃に見た農家の高い竹天井が煤で黒くなっていたのを思い出しました。囲炉裏のある家は、都市部の住宅とは全く違う造りですから、作者は入るなり驚いて天井を見上げたのでしょう。すると囲炉裏の火の上の方で、埃が悠々と舞っています。ついついその埃を目で追ってしまう気持ち、分かる!と思いました。

澄子:「炉」が三冬の季語。「炉の埃」とは?私は薪ストーブの煤をイメージしました。「遊泳して」という表現が愉しい……暖まった上昇気流で「落ちず」。穏やかで暖かい様子が伝わってきます。厳しい冬を越す土地の人から 薪ストーブは煙突掃除を怠ると煤が逆流噴射し気付けば灰もうっすら積もり遠赤外線の暖かさは快適だけど大変なんだと聞かされ 御句の情景と重なりました。

かえる:炉が三冬の季語です。直火に暖められた空気が埃を高く舞い上げます。作者はそれをなんとなく見つめていますが、部屋全体が暖められて、きらきらと舞い上がった埃は遊泳し続け、落ちる気配はありません。炉の火を落ととすまで、ゆらゆらと遊泳し続けるのでしょう。眠気が勝ち、話が尽きるまで、埃と人間の根比べです。

せいじ:炉が三冬の季語。「天井」と「遊泳」の間に「を」や「に」を補って意味を取るのではなく、「天井遊泳」を一語として一気に読むのではないかと考えた。炉の埃が、炉の上昇気流によって、宇宙遊泳ならぬ天井遊泳をしていると見たのである。そこが面白い。

えいいち:炉が三冬の季語。炉の埃というのは炉の薪にいぶされた煙にまじって舞い上がる細かい灰ではないかと思いました。炉の上は天井が高く暖かい空気が満ちていますので灰はおそらく火を落として部屋が冷えないと落ちてこないと思います。灰が落ちてこないということは寒い冬に炉で暖を取りながら夜遅くまで語らいあっているのだろうと想像しました。寒い冬なのですが炉の周りでは寒さを感じない楽しい光景を想いました。灰交じりの煙を埃という措辞により読者は、なぜ埃が・・と思いながら炉の炎から炉の周り、壁、天井の様子へと想像が広がって行くように思います。

むべ:「炉」が三冬の季語。炉の埃とは、囲炉裏の灰をかいたりしたときに舞い上がる灰塵のことかなぁと思いました。作者は囲炉裏端で座って何気なく天井や梁を見上げ、ふわふわと漂っている灰塵が目に付いたのでしょう。下で火を起こしていれば、温かい空気は当然上へ上へと流れますので、軽い灰塵はなかなか下に落ちてこないのですね。その様を想像すると、なんだか宇宙空間を遊泳している宇宙飛行士みたいです。よく観察していないと(座ってしまうと頭上で起こっている出来事なので気づかない)詠めない一句と思いました。