むべ:「室咲」は手元のホトトギス季寄せでは晩冬の季語でしたが、インターネットでは三冬の季語としているものもありました。1月くらいの季感で想像してみますと…窓が一つ浮かびました。そして窓のそばには冬にもかかわらず花をつけている鉢植えと、閑職に追われた男性の姿。仕事を干される辛さというよりは、定年後もお手伝いのために出勤している気楽さのようなものも感じます。鉢植えにもその方にも、冬日が射して、そこは日溜まりになっている。激務だった作者からはちょっとうらやましく映ったかもしれません。

澄子:「室咲き」が三冬の季語。御句からはなんとも言えぬやるせなさ、哀感、空虚感が漂います。でも挫折や敗北感そういう苦しい思いを受け止め人生前に進むしかないよ…そんなメッセージも伝わってきます。「室咲き」は単純に温室や暖かい部屋で咲かせた花と思っていましたが 古くは厳冬に梅を咲かせ楽しんだとか…なんとも雅!……そして今「窓際族」と共に在る窓際の「室咲き」はシクラメンあるいはデンファレやシンビジュームのような洋蘭でしょうか。

かえる:室咲が三冬の季語です。周りは忙しそうにしていますが、窓際族の彼はその様子を見るとはなしに眺めています。色々な思いはあるのでしょうが、すでに悟りを開いたような心境なのでしょうか。窓際に置かれた鉢は季節外れの花を咲かせて彼を慰めているようです。暖かな日差しが、ここでなくとも花を咲かせることはできる、いつまでも冬ではないとそっと彼にエールを送っています。

あひる:室咲きが三冬の季語。窓際族というと、暗に退職を促されているような辛い立場を想像します。定年まではあと少しあるけれど、重要な仕事からは外されているような。そんな立場の人にも、そこに置かれている室咲きの花にも同じように冬の陽が注がれています。「一緒に頑張って花を咲かせようよ」と、室咲きの花と窓際族は励まし合っているようです。冬だけれど、どこか温かさのある句だと思いました。

えいいち:室咲が三冬の季語。室咲は温室で育てた草花ですが窓際族と呼ばれる管理職の方の机の傍に置かれていて双方に日が射しているという情景です。窓際族というとテレビドラマや映画で平社員が主人公の時はあまり良くないイメージで、管理職の企業戦略がテーマのものでは果敢で優秀な企業戦士のイメージで描かれることがよくあると思います。そんなイメージを刷り込まれてしまっている私には、この句は平社員か管理職かさてどちらが詠んだ句なのか、それによって印象がずいぶんと変ってしまいますね。

せいじ:室咲が三冬の季語。窓際族になった気分で解釈してみる。毎日何もすることがなくてつらいが、3月末には晴れて解放されるから、それまでの辛抱だ。部屋には何もないから、室咲を持ってきた。これをながめて無聊を慰めよう。少しでも明るい気分になれればよい。部屋は冬日が射しこんで温室のようだ。冬日に分け隔てはない。暖かいなあ。