康子:無人駅かなぁと思い改札をそのまま抜けようとしたら手際の良い「おばさん」が店から出てきて「まさか駅員さん?」と驚き「春はまたいい景色なんですよ」なんて言われている状況を想像します。三冬の季語「枯野」により寂しく人気もなく寒々とした駅を想像しますが「おばさん」と出会えたことで温かい気持ちで改札に入ることができた。その状況を伝えるのに「枯野」の季語が一役買っている気がします。木々も枯れ寂しい景色だがおばさんにほっこりさせてもらえたなぁ、また春になったら木々も芽吹いているんだろうなぁ、またこの駅に来ようかなぁ、という心情でしょうか。

澄子:「枯野」が三冬の季語。この御句を拝したとき戸惑いました 私は一度しか無人駅に降りたったことが無く(夏の終わり 眼下に海が一望出来る半ば観光名所のような駅) 意味はわかったのですが実感としてのイメージが掴みがたく 勝手に妄想……映画の寅さんのワンシーン擬きをイメージしてみるとぐっと身近に感じることが出来ました。この「おばさん」にかかっては乗り降りする人すべてお見通し……きっと大人になっても お互いをちゃんづけで呼び合うような町?村?の駅なのでしょうか……「枯野駅」という寒々しい響きと対極にある親密さ、あたたかさを感じました。

せいじ:枯野が三冬の季語。枯野駅は、草の枯はてた野原の真ん中にぽつんと立つ駅のことだろう。そんな駅に降り立ったところ、改札は駅員ではなかった。聞けば売店のおばさんとのこと。これには大いに驚いたであろう。人情に溢れた田舎の冬の駅の雰囲気がよく出ている。さえぎるもののないあたりの景色も見えてくる。

かえる:枯野が三冬の季語です。単線の、日に数本しか電車が停まらないような長閑な田舎の駅を思い浮かべました。無人駅ですが、駅前のお店のおばさんがしっかり乗降客のチェックをして改札の役割を果たしています。とはいえ、ほとんどが顔見知りで、誰がどの時間の電車に乗っているかもおばさんは把握しており、たまに見知らぬ人が降り立つと、どんなに寒くても店先に出てその行方をチェックします。さりげなく話しかけてどこの誰を訪ねてきたのか情報を引き出したりしているかもしれません。駅名のように枯野と駅を繋げて下五としている点がユニークでイメージが広がります。

むべ:「枯野」が三冬の季語。舞台は地方の小さな駅舎。もしかしたら単線かもしれません。周囲は野原、それも枯れはてた野原が続いていて、ポツンと駅舎があります。無人駅ではなさそうです。駅員さんが見回りか何かで席を外しており、制服ではなく私服、それも割烹着タイプのエプロンか何かを着た女性が窓口にいるので目立ちます。改札を通るお客さんとも挨拶したりして、顔見知りのよう。ははぁ、会話を聞く限り、どうやら駅前の雑貨店のおかみさんのよう。枯野と聞くとさびしい、うらぶれた感じがするのですが、改札にいるのが駅員さんでなく店のおばさんである、というところに、温かい人々の交流を感じてほっとします。念のため、乗換案内で「枯野」という駅名を検索してみましたが、ありませんでした。

えいいち:枯野駅という駅があるのでしょうか。助詞「の」を省略していて「枯野」が季語でしょうか。駅の売店のおばさんが改札ですから何処か枯野にポツンとあるような寂しい無人駅のようにも思えますし駅員の代わりに本当に改札にいるのかも知れません。店のおばさん・・という親しみのある措辞で穏やかな冬の枯野とゆったりとした田舎町を想像させてくれます。