康子:ほのぼのとした光景が浮かびます。足、ではなく「土不踏」としたことで情景が具体的になり「さすり」で優しい印象に。「老」によりその時の気持ちが想像でき、また三冬の季語「日向ぼこ」により場所や気温や心情までが推し量れます。これはご自身の足でしょうか、それとも他の方の足でしょうか。いずれにしても今まで酷使してきた足を労り「これからもよろしく」と言っているかようです。この足でいつまでも吟行して行きたいなぁなど思っていらっしゃる様子を想像してしまいました。ぽかぽかした縁側で寛いでいる様子が想像できこちらまでほっこりしました。

澄子:「日向ぼこ」が三冬の季語。拝誦し唯々ほっこり。究極のしあわせな姿ですね。なんと安寧な風景……縁側でしょうか。傍らにはお茶やお茶菓子なども……さするという動作も穏やかそのものです。余談ですが足裏をほぐすと血のめぐりがよくなり 各臓器と繋がるツボも集中しているので手軽な健康法です。が、私が施術してもらったことのある官足法は ときに痛くて飛び上がらんばかり土不踏や足裏全体を激しく揉みほぐしてゆくものでした(笑)

せいじ:日向ぼこが三冬の季語。本人のこととして鑑賞してみた。年を取ってはじめて分かることがある。ちょっと歩いただけで足が疲れるのもその一つ。日向ぼこをしながら土踏まずをさする格好は、人前なら、あまり行儀のよいものではないが、そんなことは言っておられない。格好をあまり気にしないのも年を取ったから。年を取ればみな分かる。足はまだ少しだるいけど、日向ぼこは実に気持ちが良い。

かえる:日向ぼこが三冬の季語です。硬く凝り固まった土踏まずをマッサージしながら日向ぼっこを楽しんでいます。もしかしたら摩っているのは小さな孫かもしれません。冬の平和なひとときが優しく描かれています。

えいいち:日向ぼこが三冬の季語。老人が土不踏をマッサージしながら日向ぼっこしています。昨日の吟行で足がパンパンになったのでしょうか。老の・・という措辞から昨日の疲れを勤めも何も気にせずに翌日に癒せる穏やかでゆっくりとした時の流れを感じます。

むべ:「日向ぼこ」が三冬の季語。縁側や日溜まりで冬の日光を浴びているお年寄りの姿を想像しました。ただ日光浴するのも手持ち無沙汰で、胡坐をかいた足の裏を手でさすっています。土踏まずは足裏のうちで皮膚が薄く柔らかい部分。また、中医学ではツボがあり、押されると気持ちが良い部分でもあります。こちらのお年寄りがそのような理屈っぽいことを考えているかどうかはさておき、リラックスした穏やかな時間の流れを感じます。働き詰めだったかもしれない現役時代、平日のお昼をこのように過ごせるなんて夢みたい、と思っているかもしれません。そこへ冬日がそっと差しています。

あひる:日向ぼこが三冬の季語。のんびりと、冬の日射しと仲良く過ごしているようです。しなければならないことも特に無いのか、後まわしにしているのか…。土不踏をさすりたくなる気持に共感しました。若い頃には思いもしないことでしたが、土不踏の冷えは不快です。暖かい冬日を当てながらさすったら気持ち良くて元気が出ることでしょう。