康子:「誦す」という言葉を初めて知りました。三冬の季語「白息」とあるので寒い中亡くなった方への弔いを込めて祈りを唱えているのでしょう。その白い息の中に想いを込めて届けるかのように。そして最後の「一碑あり」によりその慰霊碑に対する作者の深い想いを感じました。

澄子:「白息」が三冬の季語。「誦」には声を出して唱えるという意味がありました。どのような碑文なのか……作者自身思わず声に出していたのか あるいはそういう方を御覧になったのか……万感の思いで鎮魂碑に向き合う姿を想いました。おそらく阪神淡路大震災の碑ではないかと。

かえる:白息が、三冬の季語である息白しの子季語です。誦すという言葉のリズムが美しく、句全体を厳かにしています。碑には、厳寒のなか誦さずにいられない強い思いが込められていたのでしょうか。早朝の誰もいない光景が浮かびました。

せいじ:白息が三冬の季語。1.17を思い出す。最近も苦楽園界隈を吟行し、西宮震災記念公園で昼食をしたが、ここにも鎮魂碑があるんだと思った。この日は各地で鎮魂の催しがある。みんなで歌っているのは「しあわせ運べるように」だろうか。白い息に乗って人びとの鎮魂の気持ちが広がっていく。

えいいち:白息が三冬の季語。息が白くなる寒い日に思わず口に唱える鎮魂の碑がある、という情景だろうと思います。作者にはこの碑の対象には深い思慕の念があったのではないかと思いました。

むべ:「白息」が三冬「息白し」の子季語。訪れた場所に鎮魂のために建てられた石碑がありました。「誦す」は節をつけて唱えることなので、作者はそれを声に出して読み上げたのでしょう。冷え冷えとした大気が作者を包み、読み上げていると吐く息が白く見えます。たましいに天来の慰めが与えられるよう、作者は祈りつつ唱えているかもしれません。