康子:「鳶」は翼を広げると150〜160cmもあるのだそうです。そして「碧落」は「遠い所、果て」の意味もあると知りました。大きく気高くそして孤独な鳶が遠くの青空の果てまで飛んでいくように見えた、と言う句意なのでしょうか。「冬晴るる」が三冬の季語。鳶の飛んでいる孤高の姿によりさらに冬の晴れの美しさを感じているのでしょうか。澄み切った青い空をバックに悠々と飛ぶ鳶の姿、その澄んだ空気、そして深呼吸して空を仰いでいる作者の映像が想像できました。

澄子:「冬晴るる」が三冬の季語。「碧落」という言葉を初めて識りました。青空転じて遠いところ、果てとありました。「碧落」「孤高」「鳶」「冬晴」……これら漢字を並べただけで一枚の絵となります。真っ青な大空へ上昇気流に乗って旋回しながら やがて黒点のように小さくなってゆく鳶……そんな情景を想いました。

あひる:冬晴るるが三冬の季語。冬の凛と冴えわたった晴天を言うとのこと。果てしなく広く高い、冬晴れの大空を一羽の鳶が舞っています。他に迎合しない気高さと孤独が、冴えわたる空に鮮やかに見えてくるようです。

かえる:冬晴るるを三冬の季語として良いのか、冬日和の子季語になるのか、判断できませんでした。勉強不足で申し訳ありません。碧楽という言葉の響きでぐっと格調高いリズムになります。一羽の鳶が、澄み切った冬空を独り占めするように悠々と飛ぶ様が浮かびますが、寂しげではなく、不安げでもありません。孤高とあることから、誇らしげに空から下界を睥睨しているようです。

せいじ:冬晴るるが三冬の季語。凛と冴えわたった晴天である。「碧落」は抜けるような青い空のことだろう。鳶が一羽、仲間から抜け出して、ゆっくりと輪を描きながら上へ上へと上昇していく。抜けるような空だから、そのまま空のかなたに消えていくように感じられたのではないだろうか。「孤高」がそれを表しているように思った。京都の鴨川デルタに行くと鳶が多くみられるが、冬晴れの河畔に寝転がって空を見上げると、この句のような景色が見られるような気がした。

むべ:「冬晴」が仲冬「冬日和」の子季語。初冬の季語・小春日和に比べると寒さが一、二段階深まっています。「碧落」は青く大きな空であり、転じて遠い果てをも指す言葉だそうです。孤高の鳶は岩場に止まっているのでしょうか、それとも悠々と翼を広げ飛んでいるのでしょうか。たった一羽で飛んでいる絵を想像しました。その姿は気高く、神々しくさえあります。そしてよく冷えた大気を感じつつ、作者は果てしない青空を見上げているのです。

えいいち:冬晴るる、が三冬の季語。冬の凛とした空気の青空はるか遠くに孤高の鳶が舞っている、という情景だと思いますが碧落の措辞から手の届かない大きくて遠い青空、その空を飛ぶ鳶を孤高とする措辞から鳶の姿がとても気高く力に満ちた存在として感じます。冬の空の中にも身に沁みる大きな希望のようなものを感じました。