澄子:「悴む」が三冬の季語。下五「悴む字」とずばり。戸外の厳しい寒さがリアルに伝わってきます。乱れた文字を「悴む字」と端的に一言。 私には思いつかない表現です。

せいじ:悴むが三冬の季語。悴んだ手で書いた字は自分でも読めないだろうと思ったので、以下のように解釈してみた。吟行で授かったらその場ですぐにメモしておかないと忘れてしまうので、句帳には自分しか読めないような我流で崩した略字で書く人が多いのではないか。自分もそうである。なので、句帳はふつう自分しか読めないものである。そんな句帳の字が今日は寒さのせいで自分でも読めないものになっている。手が悴むほどの冬の寒さが、句帳の字という具体的なものを通して表現されている。

あひる:悴むが三冬の季語。悴む字は悴んだ手で書いた誰にも読めないような文字のことですが、かろうじて書いた本人の私には分かるのだと思います。家に帰って早く清書しなければ、私にも読めなくなりそうです。寒さの中で、良い句が授かって、くちやくちゃの字を見ながら、にんまりしていそうです。

えいいち:「悴む」が三冬の季語。句帳の文字が寒さで手が悴んで乱れて誰にも読めないだろう、ということですが寒さに震えながらも作者にしか詠めぬ季節がそこには描かれているのでしょう。清書したものを是非拝読したい気持になりました。

康子:悴む「手」ではなく「字」としていることで映像が浮かびます。そして「わたししか」の平仮名により「しし」のような文字が並んでいるのかと想像すると楽しくなります。「悴む」の季語により寒さや佇んでいた時間、俳句を詠む気持ちや心構えなどが分かり、また走り書きの文字により心が何かに振れ動いた状況が浮かびます。私もそんな心構えで俳句を詠めるよう努力したいと思いました

かえる:悴むが三冬の季語です。家の中から見ると、さほど寒くはないように見えたのに、いざ吟行に出てみると北風の冷たいこと。せっかく来たのだからと粘るも、指先からどんどん温もりが奪われ、感性も気力も萎えてゆく、そんな様子が浮かびました。わたししか読めぬ、のフレーズに哀愁とユーモアが同居しています。自分にしか読めない字ってあるよなあ。達筆のみのるさんでも悴むとさすがに筆が乱れるのだなと、大先輩に少しばかり親近感が湧きました。

むべ:「悴む」が三冬の季語。思わずくすりと笑いが出ました。句意は明瞭で、手が凍えて句帳にペンをうまく走らせることができず、書いた字がいびつになってしまいました、これ、私しか読めないよね……というもの。悴んで書けなくなることはよくあることですが、何に書き付けているかというところがみそで、句帳なのです。作者の日常生活に、身近に句帳というものが存在していることを知ります。そして、おそらくは野外で寒い中句を授かるのをじっと待っていて、降りてきた瞬間を書き留めようとしたのでしょう。ところが手足がすっかり冷えて手がうまく動きません。単なるユーモアある句ではなく、句作は根気強さでもあると教えられる一句です。