康子:ベンチで寛いでいると気がつけば周りには誰もおらず、自分と蠅だけが日だまりに包まれている。蝿とのツーショットなど私には思いもつかない。虫の命を愛おしむ気持ちが現れていると思い感銘を受けました。「冬の蝿」の季語により「もののあはれ」を感じますが「日だまり」の措辞により中和されて、穏やかで希望を感じる句になっていると思いました。蝿はすぐに飛び立ってしまうので、とうとう一人になり「もうひと頑張りしようか」と言ってベンチから立ち上がる様子を想像してしまいました。

澄子:「冬の蠅」が三冬の季語。「日だまり」「ベンチ」「蠅」…… 勝手な想像ですがヌーベルバーグ的な映像を感じました。 あるがままの風景を詠む現実味とでもいうのか……例えば冬座敷、応接間、縁側、ソファ、猫という言葉だと違った印象になってきたと思います。作者の視線はずっと一匹の蠅を捉えているのですが その背後に今この公園での温もり、風向き、音(枯れ葉の鳴る音 会話あるいは遠い喧騒も聞こえるのかもしれません)等感じました。蠅が十分暖まり飛び立つのを見届け 作者もおもむろに腰をあげたのでしょうか。

かえる:冬の蝿が三冬の季語です。歩き疲れて、日だまりの一等地にひっそりとした空きベンチを見つけてひと休み。あまりの心地よさにうつらうつらしかけますが、耳障りな羽音で我に帰る。そんな光景が浮かびました。温暖化の影響か、蝿にしても、蚊にしても、活動期が長くなっているように思います。作者の句は、静かな自分だけの時間を邪魔する蝿を鬱陶しがるわけでなく、面白がっているように感じます。一般的に忌み嫌われる害虫ですが、視点と表現の仕方で、童話のように愉快に描くことができるのだなと、新鮮な気持ちになりました。

むべ:「冬の蝿」が三冬の季語。日だまりのベンチという措辞がいいですね。冬でもそこだけは明るく暖かい。そして座っている二者は作者と蝿です。作者は「おまえ、この寒さを生き残っているんだね、がんばっているね」と心の中で声をかけたかもしれません。温かい気持ちになりました。

あひる:冬の蠅が三冬の季語。日だまりという措辞は季語ではないようですが、日向ぼこりのような雰囲気があります。ベンチに座って蠅に気が付き、仲間意識が芽生えたようです。寒い冬の日だまりの、命あるもの同志です。

せいじ:冬の蠅が三冬の季語。日溜りのベンチで日向ぼっこをしているのは自分一人だけだと思ったら、ふと見ると蠅も来てじっとしていますよ。小春日和の暖かさの中にあって、思いがけずに仲間を得た喜びが感じられる。心がほっこりとする句である。

えいいち:冬の蠅が三冬の季語。ベンチで日向ぼっこしている作者と冬の蠅ですね。冬の日だまりの温もりは格別に気持ちの良いものですね。蠅も日を浴びてじっとしていますが自分と同じ気持ちで気持ちがよいのだろうと作者は思ったのでしょう。