せいじ:雪吊が三冬の季語。「緊張感」という言葉が巧みで、降り積もった雪の重みばかりではなく、雪吊を見た人が感じる縄が切れるのではないかといった不安感までもが、見事に表現されていると思った。また、命令形で終わる俳句は珍しいが、これによって、自分の感動を他の人にも味わってもらいたいという強い思い、言い換えれば、感動を超える感動が表されていると思った。

康子:雪吊りのことも写真でしか見たことがなかったので調べてみました。その上でこの句を拝読すると、縄を張り終わった職人さんの満足げな後ろ姿が浮かんできます。恐らく見事な手捌きで長年の経験を頼りに力加減を調整しながら縄を張っていくのでしょう。この樹木は自分が守っているという自負があるのでしょう。その縄を「緊張感」という措辞で表したことにより職人さんへの敬意を感じました。俳句を初めて知る事ばかりです。また勉強になりました。

澄子:「雪吊り」が三冬の季語。雪の重みで枝が折れぬよう高所より吊した縄で枝を支えてやる処置ですが 有名なところでは 金沢兼六園の雪景色でしょうか。作者は近くから観察され「縄の緊張感を見よ」とそのものズバリ!天辺の一点からまるで楽器の調弦のごとく……大掛かりではありますが繊細な作業。都内でも六義園や清澄庭園で実際見たことがあります。 引きで見ると巨大な半透明の蛇の目傘を伏せたような幾何学的円錐状オブジェが幾つか重なり合って インスタントレーションそのもので壮観です。でも 縄をかけて引っ張る枝は自然そのもの……いったい遠目からは整然と等間隔にしか見えぬ縄はどうなってるの……?今度は間近でじっくり観察してみたくなりました。「俳人の目」というのはこういうことかと気づかされた一句です。  

あひる:雪吊が三冬の季語。金沢の兼六園の雪吊は有名ですが、他にも北陸や東北各地であるようです。天辺にはいろんな種類の飾結びが施され、放射状に伸びた縄はそれだけで芸術のように私には思えます。この句は雪吊の美しさをひと言も説明せず、緊張感を見よと言い切っています。こんな表現の仕方があったのかと、作者の驚きがそのまま出ているではないかと、驚きました。

かえる:雪吊が三冬の季語です。熟練の職人の手によって、幹に張り巡らされた縄。いよいよ冬が来るぞという気構えと、大仕事を完璧にやってのけた職人の心意気や自尊心がみなぎっているようです。積雪は雪吊した樹木の美しさを引き立てますが、積雪前のぴんと張った縄たちの、やる気に満ち溢れた佇まいや、これを張る職人たちの仕事ぶりもこの上なく美しい。見よ、で締められた句に感動が強く溢れているように感じました。

むべ:「雪吊」が三冬の季語。庭園などの木を雪の重みから守る技法のひとつで、様式は何種類かあるようです。個人的には、幹に沿うように柱を立て、柱のてっぺんから末広がりに360度縄を張る「りんご吊り」をイメージしました。張り渡された縄は緩いとおそらく用をなさないのでしょう。ピーンと張っている雪吊は、庭師さんの技術力のあかしなのかもしれません。作者はその緊張感に驚いて、下五で「見よ」という措辞をとっています。これは呼びかけや詠嘆の切れ字「よ」ではなく、動詞の命令形の語尾「よ」だと思います。見てくださいよ!という感じでしょうか。雪吊をされた木々は、大雪を待ち構えているかのようです。

えいいち:雪吊が三冬の季語。縄の緊張感、という措辞から雪の重みでピンと張った吊り縄と張り詰めた冷たい空気の中の雪吊のが光景が浮かびました。さらに見よ、という措辞でその形の美しさに感動する作者の気持ちが伝わってきます。冬の空に見事にバランスした三角形は一枚の静止画のようで時が止まっているような感覚になります。