康子:鴨喧嘩シーンをYouTubeで初めて見ました。「鴨突進」の措辞がぴったりだと感じました。目の前で体当たりして首根っこを掴み血みどろの戦いを繰り広げているのでしょう。それを「恋の縺れ」の措辞でふっと気持ちが和らぐような句になっていると感じました。いつも近所の公園でただ和ませてくれている鴨でしたが、その生命力を知りもっと注意深く観察してみようと思いました。

澄子:「鴨」が三冬の季語。上五「鴨突進」と下五「見たりけり」がどこか講談調で しかも「恋の縺れ」って諧謔味があり過ぎて 鴨には申し訳ないけど吹いてしまいました。目前というより 少し離れた位置から俯瞰されるようにこの喧嘩の一部始終を御覧になったのではないかと思いました。雄雌はっきり判るマガモの絵が浮かびました。余談ですが 渡りをしなかったマガモやアイガモは 都内でも一年中見かける身近な鳥で気にも留めたことがありませんでした。 今回改めて映像を確かめたり調べたりしてみると やはり種を残す競争は熾烈で迫力があり、またマガモを飼い慣らし家禽化したものがアヒルだとか……飼鴨の寿命は20年とか……驚くことばかりでした。都会のさほど広くない公園の池やコンクリートの剃刀堤防の小さな川で懸命に生きている命に拍手を贈りたくなりました。

むべ:「鴨」が三冬の季語。鴨の多くは冬鳥で、越冬のため日本に飛来します。繁殖は北の地で行われるのでほとんど見られませんが、前段階の求愛は越冬地・日本で見られる行動なので、この句は日本だからこそ授かった一句だと思います。美しい羽色に変身したオスはそれだけでも目立つのに、さらに二羽がメスを巡って争っているところに作者は出くわします。おっと、形勢不利と見た一羽が一発逆転を狙ってもう一羽に突進しました。「恋の縺れ」という措辞にユーモアがあり、下五「見たりけり」から、作者がわりと至近距離で恋の行方をじっくり観察していたのではないかと感じました。オスたちには、何かシンパシーを感じているようにも思えました。

かえる:鴨が三冬の季語です。魅力的な女鴨を巡っての鞘当てでしょうか。勝ち抜いて女鴨に選ばれれば恋の季節である春がやってきます。どちらも負けられない冬の最後の決戦の様子が浮かびました。余談ですが職場の池に毎年つがいの鴨がくるので、ずっと同じカップルだと思いこみ、一生同じ相手と添い遂げる健気な鳥だと勘違いしていたのですが、鴨は毎年お相手を変えるのだそうですね。今年限りの恋だと思うと、恋の鞘当ても少しユーモラスに見えてきます。

えいいち:鴨が三冬の季語。鴨の雄が雌を取り合って喧嘩しているのでしょうか。作者は鴨が突進するのをそう見たわけですね。寒い中熱い戦いが繰り広げられているようですが鴨にとっては真剣なのでしょうが句からは作者がどこか面白おかしく観察している感じがします。

あひる:鴨が三冬の季語。鴨の恋の季節も冬で、日本は鴨の恋愛の地とのことです。昨年、夙川の土堤を歩いている時、まさに一羽の雄鴨と一組のカップル鴨が揉めているところを見ました。カップルの雄がいきり立って、寄ってくる一羽を追い廻していました。鴨の世界も大変だと、少しばかり胸が痛みましたが、そんな恋の縺れも何のその、夙川の水は小春の日射しの中キラキラと平和に流れていました。

せいじ:鴨が三冬の季語。池で鴨を眺めるのは楽しい。鴨の喧嘩をYouTubeで見てみた。一羽の雌を横にして、二羽の雄が嘴で突っついたり追いかけ回したりと、思いのほか激しくもみ合う。時間も長く容赦がない。一年に一度の恋の季節、雌を取り合う真剣勝負だからであろう。逃げたほうが負けである。決着がつき、雌は勝者に寄り添う。自然界の掟は厳しい。「突進」にリアリティがある。