澄子:恥ずかしながら(訥弁)という言葉を初めて識りました。作者も朴訥なお人柄の彼の傍らで 黙って焚き火を囲んでいるような気がします。火を見つめていると 心癒やされ 身のうちが綺麗になってゆくよな……火にはしばし俗世を忘れさせてくれるような静けさがあります。三冬季語の焚き火に 訥弁な彼が火守役…静謐な時空を感じました。

康子:焚火のパチパチと燃える音、それを見守る彼の眼差し、またその彼を見守る人の姿、そしてその周りの静けさが浮かびます。親なのか仲間なのか、その「真面目で言葉少なな彼」に大事な仕事を任せた。そして例えば出来上がった焼き芋などを食べ、その火守りを皆んなで讃えるのかななんて想像してしまいました。もしこれが過去のことであれば「昔は訥弁だったよな」と雄弁の彼と昔話をしながら焚火を囲んでいるのかもしれません。「訥弁」と「焚火」の取り合わせが静かで温かく、人間味があって深い愛情を感じると思いました。背景が「焚火」ならではの効果かと思います。

せいじ:焚火が三冬の季語。子どもたちがしている焚火を想像した。落葉焚でもよい。焚火をするときには必ず火の守をする人が必要になるが、訥弁の彼がいつもその役を買って出てくれるのである。他の子どもたちが周りで遊んでいるときも、その子だけは焚火のお守をしている。口は達者ではないが、火守の腕には自信がある。どこか職人気質な子どもなのであろう。どんなグループにもそんな子は必ずいる。どこか頼もしい。

あひる:焚火が三冬の季語。訥弁の彼は、おそらく寡黙な人でもあるのではないでしょうか。焚火を囲む他のメンバーにお喋りは任せて、彼は黙々と火の守りをしています。他のメンバーの和やかなお喋りも、刻々と様子の変わる炎も彼は充分楽しんでいるのです。時に頷いたり、少し相槌を打ったりしながら、薪を焚べたり火の様子を見ています。冬の冷たい空気の中で、心はほっこりしています。

かえる:焚火が三冬の季語です。訥弁の彼は、ひとと話す時は緊張して口数が少なくなりがちですが、今はリラックスして焚火に向き合っているのではないかと思います。すでに皆が寝静まった静かな夜、ぱちぱち爆ぜる音を良く聞き、時折薪をくべたりしながら、心の中で滑らかに焚火と会話している。そして眠る仲間が寒さで目を覚ましたりしないように気を配っている、静かで優しい夜が浮かびました。

えいいち:季語は三冬の焚火。訥弁の彼が焚火を仕切って楽しそうに皆と話しながら火守をしているなんて、という意外な展開に作者は驚いているのでしょうか。焚火は現在出来ない懐かしい冬の風物詩ですね。ところで訥弁と火守役が気になってしまい別の想像ですが、作者は冬の焚火を見ていたら夏のキャンプファイヤを思い出してしまい訥弁の彼が火の守役になり立派に火の守の言葉を述べていたなあ、と感慨に耽っているのかとも思ってしまいました。

むべ:「焚火」が三冬の季語。口数の少ない彼が、焚火が消えぬように薪をくべる役割を担っています。作者もおそらくそばで一緒に焚火を囲んでいるのでしょう。お互い多くを語らないのですが、明るい炎や爆ぜる音を聞きながら、ポツポツと会話しているかもしれません。何か心の通い合う不思議な時間と空間。焚火のなせる業ですね。