むべ:「虫の秋」が三秋「虫」の子季語。兵庫県南部地震は、その後何年にもわたり余震があったそうです。余震のたびに、喪った家族、壊れた家、大きな変化を強いられた人生を思い出す人も多かったことと思われます。辛いですね。下五に「語り草」とあるので、この句が詠まれたのは、余震があまり感じられなくなってからでしょう。あの時は大変だったね、と振り返るだけの時間と心の余裕を感じます。虫の声に囲まれて、共通の体験を持つ人との語らいのひと時。しまっていた感情も、ふと表せそうな静かな夜です。

せいじ:虫の秋が三秋の季語。大きな地震の後はしばらく余震が続くので、眠られぬ不安な夜を過ごしたことであろう。地震そのものや夜ごとに経験する余震の怖さはそれを経験した人にしかわからないかもしれない。それを経験した者同士、昔語りをしながら虫の声を聞いている。地震で亡くなった人たちのことも思い出され、秋の寂しさがことさらに身に迫って感じられる。

えいいち:「虫の秋」が秋の季語。地震は怖いです。大地震のあとの余震の続く夜の恐ろしさが語り草となっている。暗闇の余震の恐怖と秋の虫の音のもの寂しさ、似ているようで似ていない、なぜか思いの方向が180度違うように感じます。関東大震災は今年で100年だそうです。震災のあとに秋の虫たちは鳴いていたのかどうか、ふと考え込んでしまいました。がきっと鳴いていたに違いないと思いました。

あひる:虫の秋が秋の季語。私の歳時記には季語として載ってなかったのですが、季寄せには「虫の秋」としてちゃんと載っていました。虫の鳴き募る秋全体のイメージが「虫の秋」かと思いました。秋の夜はひんやりとして物悲しくなるものですが、そんな時家族の誰かが震災のときのことを思い出します。いつまでも続く余震は本当に辛かったと誰かが答えます。虫の音もそれに共感するように震えて聞こえます。