あひる:秋晴れが秋の季語。大秋晴れとなると、ただの秋晴れではなさそうです。大海原と大秋晴れが撓んだ水平線を描いて繋がり、大きな青の世界が広がっています。細々とした物を省略して、シンプルな言葉だからこそ雄大な風景を描けるのかと思いました。

せいじ:秋晴が三秋の季語。水平線は常識的には上に弓なりになっていると思われるが、実際に目で見るとそうではなく、水平線が下に撓んで見えたのである。まるで空が海を押さえつけているかのようであった。その発見の感動が「大秋晴」に表されていると思った。

えいいち:「秋晴」が秋の季語。大秋晴なのですから雲一つない真っ青な空なのでしょう。はて水平線の撓みとは凸なのか凹なのか気になりました。普通に見切りのいい海の水平線を見ると地球が丸いので僅かに視野の両端が下がり凸になります。でも凸になると主役は海になってしまう気がします。季語が空の方なので凹に見えた方が主役は空になると思いました。ということで私は秋晴の空をメインに写真に収めようとして広角レンズを使ったら水平線がへこんで見えた!と解釈しました。この端的な写生から、まるで今日の秋晴れの空が海を押しつぶすかのように大きくて広いぞ、正に大秋晴だなぁ、という感動を伝えているのだと思いました。

むべ:「秋晴」が三秋の季語。とても美しい絵を想像しました。快晴の空と凪いだ海。どちらも青いですが少し色は違います。そして水平線はゆるやかに弧を描いているのです。この季語からは、作者が澄んだ空気と清々しい気持ちよさを味わっていることが察せられます。偶然ですが昨日別の句を鑑賞していて、「たわむ」「しなる(しなう)」が同じ漢字「撓」を使うことに気づきました。弧を描くという使い方では相通じるようですが、両者異なる意味もあるようで、日本語は奥深いです。