あひる:河川敷の芝生の上に寝転んだことがあります。寝転んだ途端、全く違う世界に入ったように、ただ空と雲だけが見え、それもとても近くに感じます。まるで世界には自分と雲だけしか無いようです。鰯雲がゆっくりゆっくりと、でも確かに動いていることに気が付くと、まるで自分が寝ている大地が動いているようです。秋の一日、目と心を空に遊ばせている作者が目に浮かびます。

せいじ:鰯雲が三秋の季語。自分にも経験があるが、大地に大の字になって大空を眺めていると、雲ではなく自分の方が動いているような気になってくる。とはいえ、「地球が回る」は、鰯雲が高い空にあって不動のごとく感じられるほどにゆっくりとしか動かない雲であるが故の、斬新な発想である。作者は大地と一体となって別世界に遊んでいる。

えいいち:「鰯雲」が秋の季語。鰯雲を寝転んで見ると地球が回っていることに気が付く、という句ですがどうして寝転ぶと地球の自転に気が付くのかなと思いながら鑑賞してみました。立っているとき人は何かしら仕事などでせわしなく作業をしたり、周りのいろいろな景色が見えていますので地球の自転などに気が向くはずもありません。しかし仕事の事も忘れ秋晴れの草原に寝転んで鰯雲の空をじっと見ていると、いつしか空全体がゆっくりと動いているのがわかります。そうして自分の寝ている大地、地球の方が回っていることに気付かせてくれるのです。そんなとてもリラックスして笑みを浮かべながら楽しげに空を見上げる作者の姿が目に浮かびます。

むべ:「鰯雲」が三秋の季語。寝ころんで詠まれた句を時折見かけますが、ここでは青空に現れた鰯雲を仰ぎ、中七で「地球が回る」というところが面白いです。もしかしたら偏西風に吹かれて雲がゆっくりと西から東へ動いていて、鰯の群れが泳いでいるように見えたのかもしれません。偏西風は地球の自転で西に寄っていますので、そのような自然の摂理にも作者は思いをはせつつ寝転んでいたのではないでしょうか。