あひる:露けしが秋の季語。長嘆したのは沖の汽笛かもしれませんが、作者もそれに共鳴するように長嘆したのでしょう。湿っぽく涙に濡れたような雰囲気があたりを覆っているようです。秋の港は人をセンチメンタルにするようです。

むべ:「露けし」が三秋の「露」の子季語。沖にいるのは大型客船でしょうか、汽笛が長く引くように響いているのが聞こえます。露けしは短歌では涙にぬれている意味があるそうです。何か悲し気に聞こえるのは、秋という季節のせいでしょうか。上五の漢語「長嘆す」とこの季語の涙のイメージとが重なり、格調高い句となっています。「露けし」という季語で作句をいつかしてみたいです。

えいいち:「露けし」が秋の季語。私は「長嘆す」の主語を擬人化された沖の汽笛と解釈して鑑賞してみました。夜霧の立つ海辺に佇んでいたら沖を行く船の汽笛が聞こえて来る、その音色は長く切なく人の溜息にも似て咽び泣くように湿った潮風に乗って聞こえて来る、という情景を思い浮かべました。汽笛は霧が立ち込めているので霧笛と思われますが季語に近くなるので汽笛としたのではないかと思いました。

せいじ:露けしが三秋の季語。海峡を眺めながら長嘆する。心がふさぐようなことでもあったのだろうか。沖を航く船の、長いため息のような汽笛もどことなく湿っぽく聞こえる。長嘆と汽笛が響き合って、乾いた心が少しずつ癒されていく。