むべ:「薔薇」が初夏の季語。薔薇が元気で花を咲かせるように、夏と冬に剪定をするのが一般的です。初夏には古い枝や葉を落とし、サーベルシュートや蕾の処理もしなくてはなりませんが、外はあいにくの雨……今日は聖書をゆっくり読もうかな。雨のおかげで心も静まって、あれ、なんだかいつもよりみことばが心に入ってくるなぁ……作者が薔薇を育てることと、神が作者を養うことが、リンクする一句。

あひる:晴耕雨読と言いますが、バラの咲く初夏の頃の雨は心地よく、読書に没頭出来そうです。自分の場合を想像してみました。読み怠っていた聖書日課を、ふと読む気になって次々と読み進めていきます。ふと窓の外を見ると咲き誇る庭のバラに五月の雨が降り注ぎ、満ち足りた気持ちで眺めます。

せいじ:薔薇が初夏の季語。キリスト教の聖書は66巻(旧約聖書39巻、新約聖書27巻)の書物から成り、各巻、章で区切られている。これを毎日1章ずつ熟読・熟思して御言葉を学び、祈りをささげることができるように構成されたものが聖書日課で、毎日欠かさずこれを行えば、およそ3年間で聖書全巻を読み終えることができる。毎日欠かさずというのは、なかなかできることではないが、作者は、薔薇が咲くころの長雨が恵みの雨となって、聖書日課を読みすすめることができたと、神の摂理に感謝しているのであろう。なお、キリスト教辞典によると、白薔薇は、純潔・無垢・処女性を、赤薔薇は、愛・殉教・キリストの受難を象徴するとされるほか、聖母マリアとも結び付けられてきたとのことである。薔薇が神の恵みや聖母マリアを象徴しているのであれば、季語は動かないと考えてよいのではないだろうか。