むべ:「藺」が三夏の季語。主は素十その人とのこと。藺草で編まれた帽子を愛用なさっていたのですね。下五の「万事了」が何とも言えない深い印象を残します。医師として俳人として、また家庭人としても、全うした人生だったのではないでしょうか。そして去り行くことも察して一抹のさみしさも。

豊実:藺帽子をかぶっている主はおしゃれな賢人という感じがします。その人が言うんだから全ては上手くいっている。

うつぎ:自画像を写生され語らせているところ良質なユーモアを感じます。全てやりきって万事了とさらりと言ってのけてますが読者としてはとても淋しい。

あひる:脳血栓を発症して数日後の作とのことですが、自分を藺帽子の主と言い、万事了と言い切る潔さにユーモアを感じます。自分の功績を積み上げるのではなく、虚子先生から受け取ったものをそのまま伝えきったという喜びが溢れているのだと思いました。賛美歌でよく歌われる「通り良き管」という言葉を思い出しました。

素秀:藺草で編んだ夏帽子の主は素十自身、他人事にように言っていますが人生の終わりが近づいて全てやり切った、良かったと大いに感慨しているようです。

せいじ:藺が夏の季語。みのるさんの説明から、「藺帽子の主」は作者自身であることがわかる。すべきことはすべてし終ったと自分自身に語りかけている。ふと、聖書の「イエスは、酸いぶどう酒を受けとられると、『完了した。』と言われた。」という章句を思い出してしまった。