素秀:秋晴れの道は明るく開けているようです。たとえ遠くてもしかっりと歩いていくとの決意があります。

むべ:「秋晴」が三秋の季語。「みち」がひらがなで、大路なのか小径なのか、想像を掻き立てられます。山道ならば起伏もあるでしょう。遠かった、けれども……来てよかった、ここまで来られてよかった……ということかな?

うつぎ:道はまたまだ遠い。しかしよく晴れ見通しも良い。困難もあるだろうが前進あるのみ。

あひる:秋晴れの道を歩いてきたようです。秋の陽を浴びながら、道端の花や爽やかな風景に癒されながらここまで来て、長い道のりだったなあと振り返ったのかも知れません。けれども、まだ終点ではないようです。ひらがなの遣い方が、てくてくと歩く様子を思わせ、然れどもという措辞が、この道行がまだ終わりではないことを思わせます。

せいじ:秋晴の道を歩きながら、ここまでの道のりは遠かったなあ、よくぞここまで来たもんだと、来し方を偲びながらも、しかし、「然れども」にて、将来を見据えていることがわかる。先に鑑賞した「まつすぐの道に出でけり秋の暮」と同じ趣きを感じる。

豊実:秋晴の日に登山をしている。先はまだまだ遠い。しかし、空は青く澄み気持ちの良い空気の中、どこまでも歩けそうな気がする。