むべ:「春待つ」が晩冬の季語。百人一首の「あらしふくみむろのやまの……」という能因法師の歌が有名ですが、作者は奈良・斑鳩の神奈備山あたりにおでかけだったのでしょうか。上五の「あすしらぬ」にははかなさも感じますね。明日はどうなるかわからないはかない身の上だけれども、新しい季節の到来を待ちたい。

うつぎ:御室の山は神が降臨してまつられている神奈備山とも書かれている。和歌の歌枕の地でそれをふまえて上五、中七が仮名になっているのでしょうか。明日のことはわからない我身だが神に任せて春を待とう。落ち着き払っておられます。

あひる:明日の我身はどうなるか分からないけれど、みむろの山には必ず春が来ますよ、楽しみですね…と言っているようです。気負いのない希望を感じます。

せいじ:みむろ山は、御室山として奈良の三輪山や斑鳩の三室山などが辞書にのっているが、もともと「神のいます山」の意で各地にあるらしい。「明日知らぬ身」「みむろの山」と「み」に二重の意味を持たせて、明日はどうなるかわからない我が身なれども、みむろの山に春が来るのが心の底から待ち遠しく思われることよと、待春の思いの強さを詠んでいる。「あすしらぬ」は枕詞的に「み(身)」につけているだけなのかもしれない。

素秀:明日のことは誰にも分からないが三室の山に春が来るのを待ちながら生きていこう、との心境でしょうか。

豊実:奈良の三室山には飛鳥の産土神が鎮座されている。素十さんは今何か不安を抱えており、この世に明るい春が来るように神に祈っている。