せいじ:喜雨が夏の季語。雨乞いの場から自分が去ったとたんに雨が激しく降ってきた。タイミングがよすぎるので、これは偶然ではなく、自分が去れば雨が降ると予め決められていたかのように感じたのではないだろうか。きっとそうだとの思いが「べし」に表れている。事後預言のように、過去の自分にそう言わせているのではないかと思う。

むべ:「喜雨」が夏の季語。シンガポールでは、空を見上げていると、向こうから自分の方にスコールが近づいてくるのが見えて、追いつかれる前に建物内に逃げ込むことがよくありました。似たパターンで、晴れ男の作者がその場を去ることで、ほら、あの雨雲がこれからこちらに移動してきてザーッとひと雨ありそうですよ、という状況でしょうか?

うつぎ:推量のべしだと思う。私が去れば乾上がっている地を潤す激しい雨が喜雨となってきっと降って来るだろう。降って来る筈だ。作者の確信と願望も含まれているようです。

素秀:まだ雨は降っていないように思えます。このべしは~するべしと命令ではないでしょうか。

あひる:素十さんの俳句が究極の写生であるとして鑑賞を試みました。すると今目の前に雨は降っています。私がその旱魃の地を去るやいなや、恵みの雨が激しく降ってきた、本当にそうなんですよ‼️…と受け取ってみました。べしの理解が難しいです。

豊実:「べし」なのでまだ喜雨は降っていないと思いますが、素十さんは旱魃の地に恵みの雨が降るのを祈っているのでしょうか。とすると、季語(喜雨)を実際には見ずに作句したことになりますが。