GH選集鑑賞

やまだみのる

毎日句会みのる選の中から秀逸作品を再選して鑑賞しています。

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2014年04月06日
せいじ
春愁や知友の訃報うべなへず
節の変わり目は体調を崩しやすく、高齢者とよばれる年代になると、思わぬ同僚の訃報に驚かされることも多い。人は誰も死という定めからは逃れられないし、いつどこでどのように召されても天命である。理屈ではわかっていても、現役時代、あんなに元気で活躍し、老後も悠々自適であった彼が亡くなったとは納得できないのである。(毎日句会2011年4月)
2014年04月06日
菜々
四月馬鹿回転ドアと息合はず
スカレーターに乗るときもそうだが、躊躇していると固まってしまってタイミングを合わすのが難しく、なかなか最初の一歩が踏み出せない。何度も失敗した様子を、『息合はず』と感じたところが面白い。万愚節の句は詠みやすいようだが意外と難しく、『嘘』をテーマに詠むと理屈になる。(毎日句会2011年4月)
2014年03月31日
わかば
見送りを終えし埠頭の春惜しむ
で旅立つ人を見送ったあと、余韻に浸るように埠頭に佇んでいる。旅だったのは家族、友人、あるいは愛しい人であったかも知れないとあれこれ小説的なストーリーを連想させる。しばらくは再会できない・・そんな相手であるが故に共に過ごした思い出をも惜しんでいる。そのような設定と思いたい。原句は、『終えて』であったが、瞬間写生にするため『終えし』に添削した。(毎日句会2011年4月)
2014年03月31日
満天
哲学の道ゆく吾に花吹雪
学の道は京都市左京区にある小道である。 南禅寺付近から慈照寺まで、琵琶湖疏水の両岸に植えられた桜はみごとで、春や紅葉の秋は多くの観光客でにぎわう。 哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことからこの名がついたと言われる。原句は『道ゆく人』であったが一人称の『道ゆく吾』に添削した。主人公も又俳句の想を練りながら花堤を散策しているのである。(毎日句会2011年4月)
2014年03月31日
ひかり
踏むに惜し落花畳の遊歩道
歩道に散り敷いた落花が斑模様を描いて踏み惑うほど美しい。遊歩道はカラー舗装とかインターロッキングのような煉瓦敷きが多く、カラフルなので淡いピンクの桜の花びらとのコントラストは殊に風情がある。(毎日句会2011年4月)
2014年03月31日
よう子
磴登る花の二の丸三の丸
の丸三の丸と畳みかけたことにより磴を登って見晴らしのよい本丸(天守閣)を目指す花人の様子が上手に写生できている。畳みかけの表現法は、よく好んで用いられるが、安易に使うと月並みな句になりやすいので注意が必要。(毎日句会2011年4月)
2014年03月31日
宏虎
いななきの連鎖反応牧の春
出し(冬の間厩に入れていた牛や馬を野外に出し、運動と日光浴をさせる)という季語のあることを念頭に置いてこの句を鑑賞したい。放牧された馬たちは上機嫌で喜びいななき、温かい春の日に遊ぶのである。原句は、『春の牧』であったが、春になったという実感を強調するため『牧の春』に添削した。(毎日句会2011年4月)
2014年03月31日
つくし
瀬洗ひの小石大石風光る
の日を弾いて煌めく磊々の瀬波を写生した。石の大きさが揃っている場合は、瀬波も一定のリズムとなるが、大きさの異なる石が不規則にあるために瀬波もまた破調にしぶくのである。波の状況を一切説明せずに連想に委ねている。省略の効いた佳句である。(毎日句会2011年4月)
2014年03月31日
菜々
町おぼろ団地百棟灯点りて
層住宅がひしめくニュータウンの写生句である。句意から連想すると、このような情景が俯瞰できるような高所からの展望ということになる。高層ビルの展望階、あるいは丘の上等々が想像されるが、展望レストランで食事を楽しみながら大玻璃窓に展けるロマンチックな風景と思いたい。(毎日句会2011年4月)
2014年03月31日
せいじ
春風に乗せて船頭唄ひけり
曽川の川下りのような情景を連想する。川幅が狭く流れの早い岩場では棹さばきに忙しいが、やがて瀞場にさしかかると船頭にも余裕がでて流ちょうに地元の唄を歌ってサービスするのである。春風にうたう船頭の姿も風情があり心地よい好天であることもわかる。(毎日句会2011年4月)
2014年03月31日
雅流
霾や音はすれども機影見ず
や霞は、四方八方にたちこめるという雰囲気であるが、黄塵はまさに空から霏々と降ってくるという感じ。同じような情景であっても趣は異なるので題材選びが成否を分ける。揚句は飛行機を題材にすることで成功した。音の響き工合からすると直ぐ近くを飛んでいるらしいと思ってうち仰いだが、それらしい影は全く見えないのである。(毎日句会2011年4月)
2014年03月29日
つくし
前列に赤札並ぶ植木市
でもない情景であるが前列の赤札を詠んだことで、そのうしろに高額な苗木も並んでいるであろうことが連想できる。赤札の苗木はあくまで客寄せのための特価品。売り主はなんだかんだと上手に口上を述べては安心できるものをと奨めるのである。(毎日句会2011年3月)
2014年03月29日
うつぎ
あんぐりと古墳口開く梅の丘
のる選では、『口開く古墳』であったが、『古墳口開く』に添削させて頂いた。古墳はあくまで脇役、梅の丘を主役にしたほうが季感が動きにくいからである。麓から梅の丘を見上げた写生句で、口を開いた古墳の表情からは、啓蟄の温かいお天気であることも連想できる。(毎日句会2011年3月)
2014年03月29日
百姓
わが机辺さながら獺の祭かな
の祭という季語は、川獺が捕った魚を岸に並べておくのを、先祖の祭りをすると見立てたもの。また正岡子規が獺祭書屋主人と号したところから子規の忌日を獺祭忌ともいう。ちらかった自分の机辺の様子を獺の祭と詠んだが、ふと子規居士の生業にも思いを馳せた一句であることは言うまでもない。(毎日句会2011年3月)
2014年03月29日
なつき
読みがたきかな釘文字や苗木売る
木の名札に書かれた字をかな釘文字といった。説明がなくともそうだとわかるのが佳句の要因である。おそらく催し物として開催されている植木市であろう。最近はカタカナで表記されることが多いが、この売り主は昔通りの漢字名で、しかも画数の多い字であったのかも知れない。(毎日句会2011年3月)
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