秀句鑑賞

やまだみのる

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2014年04月10日
大森扶起子
春愁に味覚えたる煙草かな
ーカウンターの隅で独り飲みながら指に煙草を挟んで物思いにふけっている女性の姿が見えてくる。まだ吸い始めたばかりなので時々はむせて咳こむ。健康によくないということは分かっているけれど吸っている間は少しは憂さが紛れる。実際は他人を写生されたのかも知れないが一人称に詠まれているのが巧みである。『かつらぎ四季選集第16巻』(1987)所収。
2014年04月09日
佐久間慧子
くちづけをしたるを知らず春眠す
人同士か新婚さんと見るのがふつうでしょうね。でもぼくは、思わず口づけしたくなるような透明感のある天使(幼子)の寝顔を連想してしまいました。「赤ちゃんは寝るのが仕事だから春眠は無理があるでしょ」と家内にいわれた。なるほど鋭い突っ込み。確かに理屈はそうだけどね・・・正解はともかく、そのような説明をしていないがゆえに、鑑賞する側の連想によっていろんな世界に広がりを見せる。『かつらぎ四季選集第16巻』(1987)所収。

2014年04月08日
小路紫峡
椰子の実とすすむ日あらむ流し雛
崎藤村作詞・大中寅二作曲「椰子の実」の歌詞を踏まえた句である。"名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ. 故郷の岸を離れて. 汝はそも波に幾月" という歌詞。「椰子の実と一緒になって進む日もあるだろう」と解釈するだけでは浅く、故郷の岸を離れて汝はそも波に幾月・・・「椰子の実」の歌にある椰子の実と同じように君たちもまた波にさすらいながら流離の旅をするんだろうな・・という感慨なのである。『四時随順』(1994)所収。  → みのるの日記

2014年04月07日
大星たかし
歯を抜かれ舌は残され万愚節
味のない滑稽に思わずニヤッと笑ってしまう句です。「はい、大きな口を開けてぇ〜」と医者に促されて虫歯を抜かれる。嘘をついて閻魔大王に舌を抜かれるときもこのような感じなのかもと思った。四月馬鹿の句は斯く詠むべしというお手本ですね。大星たかし氏は、結社ひいらぎの幹部同人で淡路島の重鎮。癖のない平明な客観写生の作風の中に密かな心象を感じさせる作品が多い。句会でもよく一緒になり初学の頃はよく可愛がっていただいた。『かつらぎ四季選集第16巻』(1987)所収。
2014年04月06日
小路紫峡
一女性長き祷りや春の昼
リスト教教会の礼拝堂で祈る女性の姿を写生した。日曜日の礼拝ではなく平日の昼間、彼女は人目を避けるためにあえてこの時間帯を選んで広い礼拝堂でひとり祈っている。春はイエス・キリストが十字架刑にかけられ、死んで葬られ三日目に蘇られたとするイースター(復活祭)の季節ゆえに『春の昼』という季語が女性の信仰を表しているとみる。『長き祈り』の措辞から、黙祷ではなく、なにやらくぐもりながらひたすらに祈っている姿を連想するのである。『風の翼』(1977)所収。
2014年04月05日
阿波野青畝
栓抜を帯に挿せども花衣
の宴での綺麗どころか、あるいは花の宿での仲居さんを詠まれたのかもしれない。句の鑑賞としては前者とみたい。晴れ着姿ながら裾捌きよろしく、ビールの栓を抜いてはてきぱきと笑顔でサービスしている女性の姿が見える。ふつうなら『帯に挿したる』、『帯に挿しもす』としてしまうところだが、『帯に挿せども』が深いのである。着飾ってはいるが花を愛でる余裕もなく、かいがいしく世話をやいている女性の姿に同情している気分が写生の裏に隠されている。『宇宙』(1992)所収。
2014年04月04日
南上加代子
身づくろふ気配ただよふ朝寝かな
代子さんと品女さんとは、とても仲のよい親友である。お二人とも青畝師の愛弟子で互いに競って切磋琢磨してこられた。品女さんの朝寝の句と比べてみるとお二人の性格がよくわかる。揚句は、吟行の旅宿で詠まれたものと思う。もうちょっと朝寝を楽しみたいと思っているのであるが同室の句仇らは、朝食までの時間、散歩に出て句を拾おうと着替えはじめている気配。のんびりと朝寝をむさぼっているわけにはいかないのである。『南上加代子俳句集』(1986)所収。
2014年04月03日
波出石品女
髪容考へてゐる朝寝かな
眠不覚暁といわれるように、春は、なかなか起きにくく、また、何時までも寝ていることが愉しい。覚めてはいるが寝床からは出ず、午後から外出するためにどんな髪型にセットしようか、何を着ていこうか、などと考えながら目覚めの余韻を楽しんでいるのである。題材は、たあいのないことなのに、『朝寝』の季語の斡旋によって命が見えてくるのである。男には詠めない句ですね。『ナナカマド』(1982)所収。
2014年04月02日
小路紫峡
春宵のこれからといふ人出かな
に花金とよばれる金曜日のアフターファイブ。春も闌となって温かく空もまだ明るい。軽く呑んで帰ろうと繰り出した街の情景と見た。紫峡師のオフィスは、神戸市中央区だったので、三宮あたりか北野坂街隈の風情かと思う。この句に初めて出会ったとき、『これからといふ』というフレーズが何とも言い得て妙だと気に入り、いつか拝借したいと思って記憶の引き出しにしまった。のちに拙作『手花火のこれからといふ玉落つる』を授る原点となった。『風の翼』(1977)所収。
2014年04月01日
阿波野青畝
簷牙なるたんぽぽ絮となりにけり
牙は、『えんが』と読む。鋭い牙のように突き出た庇の先のことである。西宮の北山緑化植物園内にある墨華亭や小蘭亭の屋根を見たことのある人は頷けると思う。反り上がった軒先には土埃が堆積しやすく、風に吹かれて飛んできた蒲公英の種が落ちて芽を出し、花が咲き、いまは絮となりはてているのである。やがてこの絮もまた風にまかせて旅立ち命をつなぐのである。雑草の逞しい生命力を感じる。『西湖』(1988)所収。

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